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代書屋-【見つからない言葉】#青ブラ文学部

如月睦月は代書屋を営んでいる。
昔ながらの代書屋。
識字率が低かった時代同様、誰かの代わりに書類や手紙を書く。
如月睦月は司法書士・行政書士・弁理士の肩書を持っている。
役所に出す面倒な書類もなんてことなく仕上げてくれる。
しかし、それ以上に如月睦月は誰かが書けない手紙をその誰かに代わって書いてくれる、文字通り代書をしてくれる。
大事な手紙だがうまく言葉を綴ることができない。そういう時は如月に頼むといい。学生の頃からそう言われていた。
事実を気持ちを一番的確に表す言葉を如月は持っている。
俺たちの中には見つからない言葉を如月は持っていた。

西宮都志也には別居中の妻がいる。
単身赴任といえば問題がないように見えるが、実は西宮が家を出たのだ。
家からでも通えば通えない距離じゃない隣市の営業所に転勤になったのを機に、西宮は家を出た。
そうして半年が経った。
西宮の中では離婚は確定的だが、妻には何も話していなかった。
どう話せばいいのかわからなかった。
結婚して4年半。子どもはいない。いないというか作るつもりがなかった。それは西宮だけではない。特に言葉で言うことはないがお互いそう思っているのはわかっている。
妻のことは嫌いではない。
でもこのまま一緒にいてもどうしようもない。
そういう思いがもうしばらく西宮の中にあった。
こんな思いでいるなら別れた方がいい。別れるべきだ。西宮は思っていた。
しかし、それを妻に言っても「どうして別れなくちゃいけないの?」と言われるだけだ。
妻を納得させられるだけの言葉がどこにも見当たらない。
西宮は偶然会った学生時代からの友人である松原にその話をした。
もう何年も会っていなかった相手にいきなり離婚の相談をされて松原は驚いた。
「結婚もしてないのに」
松原は言った。
「奥さん、何?強いの?」
「強いというか…彼女に『どうして?』と訊かれると何も言えなくなるんだ」
「じゃあ、言わずに文字にしたら?」
メールやメッセージを送ったところですぐさま電話がかかってきそうだ、と西宮が言うと「手紙を書いて送るんだ」と松原は言った。
「手紙?」
「そう。もしも奥さんがそれを読んで電話をかけてきても、『電話に出られなかった』が通じるだろう?メッセージとかだったら『端末、手にしていて出れないわけないでしょ?』になる」
西宮は思わず笑った。
「おまえ、どうしてアイツが言うのがわかるんだ?」
「女なんて大抵そんなもんさ」
松原は肩をすくめた。
「なぁ、如月覚えてる?如月睦月」
「あぁ、覚えている。如月にラブレター書いてもらうと必ず落とせるっていうのあったよな」
「そう。でさ。逆もあったんだ」
「逆?」
「如月に別れの手紙を書いてもらうと、相手に恨まれずに綺麗に別れられる」
「マジで?」
松原は頷いた。
「俺、書いてもらった」
松原はその時彼女と別れてから今まで、恋人を作っていないと言った。
「如月に書いてもらえば?別れの手紙」
そうは言っても、西宮は如月の居場所を知らない。
松原も知らないが「ちょっと当てがある」と言ってニヤリと笑った。

松原にもらった名刺には「如月睦月」とあった。
「代書屋」とも。
西宮は如月に電話をした。そしてその翌日に会うことになった。
如月の事務所は、現在、松原がいるマンションから近いところだった。
飲み屋が連なるアーケード街の外れにある事務所は自宅も兼ねていた。
8畳程度の広さの事務所の壁は本と書類でいっぱいだった。
白いシャツにグレイのベスト。腕につけていた黒い腕貫を取ると、西宮にソファに座るよう、如月は言った。
「松原に聞いてきたんだ」
「松原くん?」
如月は首を傾げた。
「名刺をもらって」
「名刺?」
西宮がポケットから名刺を出した。それを見た如月が「あぁ」と頷いた。
「手紙を書いてほしくって」
西宮が言うと、如月は眉を下げた。
「いいよ。って言いたいけど、商売だから料金発生するよ」
「あぁ。それは構わない」
料金を貰うことで「守秘義務」が発生し、誰にどんな手紙を書いたのか?誰にも言わないのは勿論、控えは如月の頭の中にしかない状態となる。
「誰にどんな手紙を書くの?」
如月が訊ねる。
「妻に、離婚の申し出の手紙を書いてほしい。別れたいと」
西宮が答えると、如月は「あぁ」と小さく声を漏らした。
「手紙にするといいと言ったのは松原なんだけど、僕もそれがいいかなと納得したんだ」
そして、西宮は松原に話したことを、少し詳しく如月に話した。
「面と向かってだと、絶対言い負かされる自信がある」
「すごい自信だね」
如月が言った。
「頼めるかな?」
「いいよ。料金はこのくらいになるけど、書いた手紙を見て納得したら払ってもらえたらいい」
西宮に3日後に来れるか?と如月は言った。
「大丈夫。今日と同じ時刻でいいか?」
「うん。いいよ」
如月は言った。

如月の書いた手紙を読んだ。
「今回は印刷の方がいいと思って打ち出した」
A4のコピー用紙に1枚半。手紙にしたら少し長めだ。
それは離婚ではなく「別れよう」と書いてあった。勿論これまで過ごした礼も書かれてある。
あとは財産分割のことが細かく書かれてあった。
それに関して、西宮は何も考えていなかったが、内容は、西宮が元から考えていたかのようにしっくりと納得できた。
下手な言い訳も何もない。
でも、妻がこの手紙を読んだら「仕方ないわね」と言うに違いない。そう西宮は思った。
「これでお願いするよ」
西宮は言った。
如月は頷くと、もう一枚コピー用紙に印字したものを出した。
両腕には今日も黒い腕貫を着けている。
グレイのベストも先日会った時と同じものだ。
「特別オプション」
財産分割に関しての部分だけをプリントしたものだった。
「あぁ、これは大事だね」
「登記とかもできるから」如月が言う。
「その時はよろしく」西宮が言う。
「自分が言ったら余計なことばかり言いそうだったよ」
如月はそれには何も応えない。
「何をどう言っていいかわからなかったけど、案外とシンプルな言葉でよいんだな」
「相手によりけりだけど」
如月は白い封筒を机の抽斗から出した。
一見なんてことのない普通の事務用封筒に見えたが、よく見ると、花束の透かし模様が入っていた。
「これもオプション?」
「サービス」
如月が笑って答えた。

「で?どうだった?」
カウンターでハイボールのグラスを弄びながら松原が訊ねる。
「円満離婚」
西宮が答える。
「後悔はしてない?」
「ないね。ホッとしたよ」
西宮がグラスの中身をグッと飲む。
「僕が言うべき言葉は別れてほしいでも、別れたいでもなかったんだ。『別れよう』。それが僕が見つけられずにいた言葉だったんだ」
松原がうんと頷いてやはりハイボールを飲んだ。
「見つからない言葉って、意外とシンプルだよな」
「難しい言葉じゃない」松原が氷だけになったグラスを揺らす。
「如月はよく気がつくよなぁ」と言う松原に、西宮は黙って頷いた。