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【51お風呂】#100のシリーズ

古い市営団地は風呂場はあっても、浴槽や湯沸かし器などは入居者が用意しなくてはならない。
「ここに入るユニットバスってありますか?」
「公営団地用ユニットバスはこちらです」
展示場を案内する。
「湯沸かし器はガスタイプしかないのですか?」
「都市ガスの団地は浴室に配管が通っていて、ガス湯沸かし器が推奨されています」
「年寄りがひとりで住むんでね。電気湯沸かし器がいいんだけれど」
入居予定の団地を確認する。
都市ガス推奨の団地である。
四階建て、築45年。入居予定は1階。入居予定者は80歳。現在は白内障の手術前の糖尿病の調整入院だという。
「80歳でひとり暮らしですか?」
「私の夫の伯父なんですけどね。子どもがいなくて」
血のつながった甥ではなく、その妻がこうして手配しているのも、ひとり暮らしをするに至るさまざまなことがあるのだろう。
「市役所に確認しておきますね」
「ありがとうございます」

「工事終わりました」
工事の立ち合いも先日の女性だった。
「使い方の説明はこちらになりますが」
説明書を渡す。
電気給湯器の設置が可能だったことで、少し工事費は嵩んだが依頼主の希望どおりの機種を納品できた。
浴室はコンクリートの打ちっぱなしだったが最新のユニットバスを設置できた。
「浴槽のないタイプでよろしいでしょうか?」
「深くなると転倒など危ないですから。デイサービスなどもありますし」
なるほど本人のことは気にかけてもらえているのだと安心した。
「使い方は私からも説明しますし、家も近くですから」
「ご一緒にはお住みにならないのですか?」
失礼を承知でそう言った。
女性は一瞬キョトンとしたが、クスリと笑った。
「兄弟仲が悪いんですよ。お義父さんとお兄さん」と言った。
早くに家を出て海外の国々を渡り歩いていた長男と、その長男の代わりに家を継いだ次男。テレビドラマの出てきそうなふたりだった。
「あんまり甘やかせてもダメだからと、こんなふうに団地を手配して」
女性はくすくすと笑った。
「工事費も、家具もみんなお義父さんが用意していて、甘やかすな、ですからね」
「ご本人はそのことはご存じなのですか?」
「どうでしょう?」
女性はそう言うとまた笑った。
なんとなくだが、寂しい老人のひとり暮らし…にはならないような予感がして、ホッとした。
「不具合あったらいつでも私どもにご連絡いただければ参ります」
最後は営業の定例文で締めたが、少しだけ、ここの住人となる人物に興味を覚えた。


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