見出し画像

恐竜博物館はお休みです

天明先生に抱かれた青藍が、悲しそうな顔をしている。
久しぶりに来た恐竜博物館が臨時休館だったからだ。
「リサーチ不足だった」
天明先生がポツリとこぼす。
でも、本当に急な休館だったのだろう。駐車場には数台の車が停まっていたし、今こうして臨時休館の札を見て呆然としているのも、僕達だけじゃなかった。
最近、青藍の調子も安定していたのに、ここでまた寝込んでしまったらどうしよう、と思った。「病は気から」青藍の体の調子の大半は彼の気持ち・ストレスに左右されているものだと天明先生が説明してくれた。
「すみません」
博物館の玄関前に現れたのは、いつか売店で会った博物館の職員であるスコットさんだった。
「昨夜の雷が近くに落ちて、施設内の電気がつかなくなってしまったんです。もうすぐ業者が来て点検修理の予定ですが、おそらく今日は一日博物館を開けることは無理かと思われます」
説明をしながら、新たに看板を設置した。
おそらく今話したことが書いてあるのだろう。
「災難でしたね」
天明先生が声をかけた。
スコットさんは振り向くと「あぁ、ドクターでしたか」と言った。そして天明先生の脇に立つ僕と、天明先生の肩に顔をくっつくて丸くなって抱かれている青藍を見ると、「折角来てくれたのに申し訳ない」と言った。
「向こうの新しいミュージアムショップは開いてますよ」
「ミュージアムショップ?」
前に来た時はなかった。博物館と隣接している白い建物。壁には恐竜の化石がレリーフ彫りで表現されている。
「博物館内の売店が狭すぎるというクレームが以前からあってね。先週オープンしたばかりなんです」
ショップとカフェ、そして小さな図書室があるという。
「館長の好きなキャンディも売ってます」
ミュージアムショップでひと休みした後化石のある地層を見に行こうか…と言いながらショップに向かった。
建物の中に入り、天明先生が青藍を下ろした。
青藍はキョロキョロとあたりを見渡す。
最近お気に入りのステゴザウルスのぬいぐるみを見つけて歩き出した。
機嫌は悪くないようだ。
僕は今、翼竜が気になっている。
ショップにはさまざまなグッズだけではなく、本も売っていた。子ども用の絵本や図鑑から、発掘日誌や復元図の変化についての本など、少し難しい本もあった。
青藍はさっさと水色ステゴザウルスを両手で抱いている。
車の中ではノアが留守番をしているのに。
そんなことを考えながら青藍を見ていたら、急にしゃがみ込んだ。
慌てて近づくと、床をじっと見ているようだった。
「どうした?」
天明先生が屈んで訊くと、青藍は床を指差した。
焦茶の床に、白っぽくアンモナイトの化石が見えた。
「え?」
僕も慌ててしゃがんで見た。
「天明先生、化石だよ」
「あぁ…それは違うんだ」
答えたのは天明先生ではなかった。
「館長さん!」
「キミたちが来ているとスコットから聞いてね」
髭の館長は、ウインクしてみせる。
「床は床材の模様だけど、こっちの柱は本物だよ」
ミュージアムショップとカフェの間にある白い大きな柱を指差した。
「やぁ、青藍」
館長はしゃがんで、相変わらず床を見ている青藍に声をかけた。ようやく顔を上げた青藍は館長と目が合うとにっこりと笑った。
「さぁ。一緒に向こうに行ってみよう。本当の化石があるよ」
青藍は水色のステゴザウルスを抱えたままトコトコと歩き出した。
「おや?その子が気に入ったんだね?」
館長が言うと、青藍は再びにっこり笑って頷いた。
「その子の化石はないけど、魚の化石なら見れるかも。かつてここは海の底だったからね」
大きな柱は地層のように途中で色が変わっている。実際、地層を切り出し表面を加工したものだと館長が説明した。
原因はわからないけどこの地層のある崖が最近崩れることが増え、保存を兼ねてここの柱にしたとのことだったので。
「ほら蒼月のちょうど目線のところに二枚貝の化石が見えるだろう?」
「本当だ!」
青藍が一生懸命背伸びをする。
青藍はもうすぐ9歳だけど、学校にいる青藍と同い年の子よりもだいぶ小さい。
「踏み台と抱っことどっちがいいかな?」
柱の近くに置いてある、小さな階段状の踏み台を館長はこちらに寄せた。でも結局、館長が青藍を抱き上げ、僕の見ていた貝の化石を指差して「これだよ」というと、青藍は柱に右手をついてじっと化石を見ていた。
「わかりにくいけど、これは魚の腹鰭なんだよ」
二枚貝の化石の少し上にあった。
気になるものを指差して、それが化石か否かを館長に訊く。
館長は違う時は「残念」と言って笑うけど、化石だといろいろ説明してくれる。
気付くと柱の周りには自分達以外にも人が集まっていた。そのことに気づいた途端、青藍が俯いた。
館長は優しく青藍の頭を撫でた。
「喉が渇いていないかい?カフェで一緒に何か飲もう」
青藍は小さく頷いた。

カフェのテーブルに着く前に、天明先生が青藍のステゴザウルスと僕のプテラノドンの模型のレジを済ませた。模型は肩にかけていたバッグにしまったけど、ステゴザウルスのぬいぐるみは青藍の膝の上にいる。
僕と青藍は館長のおすすめのフルーツミックスジュースを、天明先生は紅茶、そして館長はカフェオレを頼んだ。
「空調も効かないんだ」
館長は言う。
落雷の影響で配電盤が壊れたのだという。
「君たちのところでは雷は大丈夫だったかい?」
雨は少し降ったけれども雷もなく穏やかな夜と言ってもいい。
「十月くらいに来れたらおいで。新しい化石を展示するよ」
一昨年発掘された恐竜の骨なのだそうだ。
「来ます。絶対に見に来ます」
僕が言うと、青藍もコクコクと頷いた。
「まぁ、展示物の入れ替えで九月の半ばからは博物館はお休みするけどね」
館長は言った。

その後、ジュースを飲み終えた僕たちに館長が「向こう側の窓から海が見えるよ」と言うので、青藍を連れて観に行くことにした。
僕たちは並んで海を見た。
僕は海よりも青藍を見ている方が多かった。
そして時々大きな窓ガラスに映る館長と天明先生を見た。
天明先生と館長は僕たちの方を見ながらだけど、何かを話している。館長が身振り手振りの説明をしているようだった。
海はまだ夏色には遠かった。
来た時よりも、空は雲が多くなっているようだった。
それでも砂浜を歩く人が小さく見えた。
砂浜の向こうに崖が見える。
柱の色より少し赤い色をしているような気がした。
あそこにも化石があるのかもしれない。
「いつか化石を見つけたいなぁ」
思わず声が出た。
「ボクも」
青藍の声がした。
青藍も向こうに見える崖を見ているようだった。
天明先生がこちらに来るのが窓ガラスに映って見えた。
館長は小さな携帯電話で話している。
「さて、あの崖を近くを通りながら帰ろうか?また雨が降るらしい。秋に来たら向こうの崖の化石も見に行こう」
天明先生は僕らの話を聞いていたかのようだった。
電話を終えた館長もこちらにやってきた。
「いつでもおいで。おすすめは十月だけどね。十月に来たらスコットに外の化石を案内させるよ」
やっぱり僕らの話をふたりは聞いていたに違いない、と僕は思った。
青藍が嬉しそうに頷いている。
予定とちょっと違ったけれど、やっぱり来てよかったと僕は思った。