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読書部

何かしらに部に所属しなくてはならないなんて今時時代遅れだと思った。
プリントには「何の部活動にも所属しない生徒は、毎週水曜日、図書室での読書会に参加すること」とあり「内申書には読書部所属と記載される」とあった。
高校受験には内申書は大事だということも知っている。
読書会は1時間。
「1時間だと5時には帰れるか」
部活の案内プリントには「文芸部」もある。
「文芸部は作文も書くんだ…」
「作文って」
さっさとサッカー部に入部届けを出した直人は、「おまえもサッカー部にしたらいいじゃん」と簡単に言う。
「部活やってへろへろになって、そのあと家の手伝いしなくちゃなんないんだぜ?」
自分の家は飲食店だ。夕飯の支度はしてくれているが、家に帰って小学生の弟たちと3人で食事を済ませ、風呂に入れ、後始末をするのが自分の日課だ。
「俺、読書部でいいよ」
ゴールデンウィーク前の水曜日。初めての読書会があった。図書室からそのまま帰れるようにと、鞄持参の状態でざっと80人ほどの生徒が集まった。
クラスでいうと3クラス分ぐらいだろうか?一番多いのは3年生だ。
2年生と3年生は3クラス、今年の1年生は70人で2クラスだ。そう思うとかなりの人数だ。サッカー部の他に運動部は野球とバスケットボールはチームで戦うが、他の運動部は個人競技ばかりだったような気がする。文化部は、音楽部、美術部、文芸部、演劇部。掛け持ちokとあったが、読書部と掛け持ちしている人はいない。それにしてもこの人数はどうだろう。
学年が進むほど読書部の人数は多いように見えた。そして女子より、男子が多いのが意外だった。僅差ではない。圧倒的に男子が多い。
「適当なところに座って」と言ったのは3年生の背の高い先輩で、学ランの袖が少し短く見えた。後から知ったが図書委員の委員長をしている蔵馬先輩。自然と図書室の奥の窓際に3年生、入口に近い方に1年生といった感じに落ち着いた。
しばらくすると図書室に先生と、白衣姿の女性が入ってきた。
先生は教務主任で英語の担当の金田先生。女性は司書の小笠原さん。何故小笠原さんが白衣を着ているのかわからない。保健の養護の先生か理科の先生でなければ白衣など学校で着ている人はいないと思っていた。
その小笠原さんが話し始めた。
「図書館にある本を読んでください。読み終えたら、こちらのカードに本のタイトルと感想。感想は一行でかまいません。面白かった。つまらなかった。その程度でかまいません。読み終えない場合は貸し出します。手続きを済ませて借りてください。貸出期日は1週間。次週の読書の時間での返却で構いません。その際、読書カードへの記入もお願いします」
1年生だけでなく、今年新たに読書部に所属することになる生徒たちからも遠慮がちなどよめきが上がった。
緩いのか、キツイのかわからない。
そもそも1時間で読み切ることのできる本などあるのだろうか?
「読書の時間に都合が悪く1時間居れない場合は、本を借りて次週の読書の時間までに記入を終えた読書カードと共に返却をお願いします。読書の時間はわたくし小笠原が毎週立ち合います」
小笠原さんは見た感じ二十代後半。肩につくかつかないかのボブヘアというのだろうか。細い黒縁眼鏡の奥の目は少しつり気味だがはっきりとした二重で、はっきり言って美人だ。
そこまで何も言わないで小笠原さんの隣に立っていた金田先生が口を開いた。
「読んでいるか読んでいないかはバレるんだから、正直な読書をするように」
その言葉に蔵馬先輩たちがクスリと笑った。
「では、読む本を決めたまえ」
皆が一斉に立ち上がる。
少し遅れて僕も立ち上がる。
「こんな本もあるんだ」
同じクラスの木下が見つけたのは絵本だった。海外の作家のもので、文字はほとんどない。
棚にはコミックエッセイもあった。小学校の図書室にはアニメキャラクターが語る歴史や科学に解説本はあったがコミックエッセイはなかった。
知っている詩人の名前を見つけた。
写真集にもなっているそれは1時間で読み切るのは可能だろう。
席に戻ると早速ページをめくった。
80人もの人が一斉に本を読み始めた部屋の空気はなんとも言えなかった。
空調の音と、ページをめくる音。そして時折聞こえる遠慮がちな誰かの咳払い。
本の状態を維持するために、図書室は湿度が一定に保たれているのだというのを知ったのは随分と後になってからだった。
半分ほど読み進めたところで顔を上げた。
窓の近くに座っている蔵馬先輩と目が合った。
その時はまだ「さっき座るように言った人」だったが、目が合った瞬間ドキリとした。まさかその後、先輩と長い付き合いになるなんて思わなかった。
慌てて本に顔を戻す。
どういうわけか読んでも言葉が頭に入ってこない。
それでもなんとか最後のページまで読み進めた。
その間に小笠原さんが読書カードをみんなの机に置いて歩いた。
「読み終えてたら、カードの記入を初めていいぞ」
金田先生の声に、ごそごそと鞄から筆入れを取り出した。
隣に座っていた木下も筆入れを取り出すと、カードに記入を始めた。
本のタイトル、作者名、そして感想。
「写真の景色と詩がマッチして読みやすかった」そう書いた。
木下のカードには「この作者の他の作品も読みたいと思った」と書かれていた。
1時間の読書にちょうどよかったのだろう。そう思った。
「はい。終了」
金田先生の声に何人かの生徒が立ち上がった。以前からの読書部員なのだろう。蔵馬先輩も立ってさっさとカウンターに向かった。
「こちら借ります」
小笠原さんが端末で貸し出しの手続きを済ます。
生徒手帳のバーコードと本についているバーコードを読み込ませると手続き完了だ。
「今年はこのシリーズなのね」小笠原さんが言う。
「前のは全部読んでしまったので」蔵馬先輩が応える。
「こっちも長いわよ。頑張って」小笠原さんがニコリと笑う。
読み終えた生徒は、カードと共にカウンターに本を乗せる。
金田先生が「はい。お疲れ」とその度に声をかける。
僕もカードと本をカウンターにおいた。
「はい。お疲れ」金田先生はこっちを見る。
「また来週な」1年生だとわかったせいか、そう言った。
「はい」僕は頷いた。
「また来週」
隣から声がした。
蔵馬先輩だった。
「は、はい」
金田先生に返事を返すのよりも緊張した。
それがどうしてかわからない。
鞄を取りに座っていた席に戻る。
壁の時計は4時45分。5時過ぎには家に着くと思って図書室を出た。
「なんだか思ったよりも悪くないな」
来週の水曜日が待ち遠しく思えた。