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螺旋階段のある風景

あれは何だったんだろう?とずーっと気になっていたものがあった。
子どもの頃に見た風景。港の近くの高台に螺旋階段があった。
階段はどこかに通じるもの。何か建物にくっついているもの。そう思っていたのにそこには螺旋階段しかなかった。
階段はもちろん空まで続くものではない。ひと回り半ほどの螺旋を形作っているだけだった。
そこがどこかもよく覚えていない。ただ、その螺旋階段を思い出すと同時にあまり大きくない貨物船らしき船を思い出す。
でもそこがどこの海なのか覚えていない。

「T岸壁のところの公園じゃないのか?」
「T岸壁?」
「あそこの展望台、前は階段の上に柵付きの屋上っていうか、パッと見、階段しかないみたいだったんだけど」
「俺、この街に来て3年だけど、ずーっと前からその景色覚えているんだよね」
「じゃあ、違うか?っつーか、そうなるとオレがわからない」
「そうだよね」
「でもさ、そこ、行ってみる?」

秋の終わりの海の風は冷たいやら強いやら。物好きな自分たち以外は誰もいなかった。
狭い路地を抜けた側にある駐車場だと展望台まで近いという。不慣れな道は運転したくないから、相手にハンドルを握ってもらう。正直、運転が荒くて、あんまりこいつの助手席には乗りたくない。

「10年前の地震の後に避難所も兼ねた建物になってね。展望台の役目はおまけ。前も展望台としてそこにあるのか何のためにあるのかわからなかったけどね」

駐車場から少し歩いたところに展望台はあった。
床面積にしてみればあんまり大きくない、広くない建物だった。円柱形で、天辺に柵が見える。
四方の壁はガラスで、だいたい3階建の建物と同じくらいだろうか?一階のドアは二重になっていて、中には螺旋階段が絡み合うように2本。二重螺旋はそのまま上に、階段が収まるように丸く穴の空いている天井に続いていた。

「見ての通り階段しかないけど、上ってみる?」

螺旋階段はそれぞれ赤と青の手すりがついていた。
赤が上り、青が下り。
赤い手すりのある階段を上る。
桜の木が邪魔をして、自分たちが車を停めた駐車場は見えなかった。反対側の海側はほとんど崖といってもいいような傾斜だった。その崖の下にも駐車場があったが車は一台も停まっていなかった。
薄曇りの空を映した海は寒そうに見えた。白い波が遠くに見える。波が高いのだろうか。
高さ、幅が絶妙でとても上りやすい階段だった。
特に幅が少し広めで、階段の途中で立ち止まっていても安心感があるというのか、中心の柱に掲示されているこの公園、というかここから見える港の歴史を読みながらゆっくりと上った。60年ほどの間に何度も埋め立てを繰り返して作られた港だった。

「なぁ」
「何?」
一枚のパネルを覗き込んだ。
「違う?」
モノクロ写真を指差した。
「違うね」
「そうか。まぁ、なんつーか、こういうところで奇跡みたいなことあっても何だしね」
「なんだよ。それ」
かつてこの場にあった螺旋階段の展望台。説明を読むと、作りかけの状態で終わってしまったものだという。
もう少し大きく、そして螺旋階段の隣には3階建の建物ができる予定だったという。
螺旋階段だけ作られたのではなく、建物と同時に作られていたが、何らかの理由で途中で止まり、建物部分だけ撤去された。建物の名残は、階段にくっついている黒い壁だった。
2階の踊場がそのまま階段の終着点となり、展望台として公園に残っていたという。
建てようとしていた建物が何だったのかの説明はなかった。
ただ他のパネルにあった説明の中に、ここはもともと私有地であったことが書かれてあった。

展望室から見る風景は、当然ながら階段を登ってくる間に見たものとたいして変わらないはずなのに、ぼんやりとしばらく海を見ていた。
遠くに見える船が漁船なのか貨物船なのかわからないまま眺めていた。
「いい街だよね」
「そう?」
「おまえにのこのこついてきた感じだったけど、来てよかったよ」
「それは今日のこと?」
「それもあるけど、3年前にこの街に来たことも、本当によかったと思っている」
「そっか」

青い手摺りのある階段を下りた。
上ってきた赤い手摺りの階段をそのまま下りても誰も咎めることはない。説明のパネルにも「混雑時には」赤と青を使い分けるように書いてあった。
ここが混むことはあるのだろうか?
そして「緊急避難時には」どちらからでも上に上ってかまわないともあった。
そういう事態には遭遇したくはないとも思った。

帰りの車は自分が運転をした。
「いつかその階段がどこにあるかわかるといいね」
助手席から声がした。駐車場の隅にあった自販機で買った缶コーヒーの香りが車の中に満ちていた。
「そうだな。でも、まぁ、いつかでいいよ」
「そうか」
「わかったら一緒に見に行こうぜ。ホントに奇妙な展望台だから」
「うん。楽しみにしてる」
初めて運転する細い路地をようやく抜けた。
見慣れた街の風景が広がった。