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学習塾-【きわどいはなし】#青ブラ文学部

「担任には「なかなかきわどいね」って言われました」
模擬試験の結果を広げてミチヒロが言う。
「きわどいねぇ」
僕はその成績を見て唸る。
「きわどいはなしですか?」
ミチヒロの継母が小声で言う。
彼女は「きわどい」という意味をどう思っているのか気になった。
マンツーマン型の学習塾。ミチヒロは中学2年の夏休み前から通ってきている。
来春は高校受験。願書提出までにはまだ間があるが、そろそろ進路を決めないと、こちらの指導方向を決めかねる。
「この点数なら合格はできるだろう。でもね。これが君の実力だとしたら、入ったあとが大変だよ?」
模擬試験の結果は合計点でいくと合格圏内だが、個々の点数にばらつきが多い。
英語は彼の継母とのコミュニケーションを取るためにもこの2年間頑張った甲斐がある。数学は元々高い点数が取れる。問題は残りの科目だ。
受験まであと5ヶ月。何とかなるかならないか?それこそきわどい話だ。
「大学進学ももちろん考えているんだろう?」
「はい」
ミチヒロは小さく頷いた。
「大学に入る目的、将来の希望みたいなのはあるのかな?」
ミチヒロはうーんと言ったきり黙ってしまった。
継母は「せんせいにおはなしして」とミチヒロに囁く。
継母はインド系アメリカ人で2年ほど前にミチヒロの父と結婚した。ミチヒロを産んだ母親のことに関しては話を聞いたことがない。ミチヒロの父は客船の船医をしていてあまり家にはいない。父が再婚するまで、ミチヒロがどのように過ごしていたのか?それまで母がいたのかもわからない。こちらから訊くのは少し憚られた。
「数学者になりたいんです」
ミチヒロは言った。
そして再び沈黙。
「お父さんが反対しているとか?」
ミチヒロは首を横に振る。
「にっぽんでは、すうがくしゃのしごとがないときいてます」
義母が言う。反対しているのは義母なのか?
「全くないというわけではないですね」
現に知り合いには肩書きに「数学者」を持つ者もいる。だけど彼の生計はおそらく大学の物理学教授で成り立っているだろう。
「わたしのそふもすうがくしゃでした。だいがくでおしえてました」
「ふむ」
確かにミチヒロの数学の成績は群を抜いていい。すでに数学検定の準2級も合格していた。僕はミチヒロの過去の模擬の成績も並べてみた。
受験希望の学校は全体的にレベルが高く、ミチヒロのように教科によって成績にムラのある生徒は入ったあと苦労する。
「大学はどことか考えている?」
いくつか挙げた中に、隣市にあるP大の名があった。
「P大だったら付属高校もある」
と言いながらも、高校生が通うには少し距離があるかもしれない。と思った。寮もあるがそれはどうだろう?
「鯛の尻尾より鰯の頭」
P大は近隣の高校に推薦枠を与えている。
上位5番以内もしくは特筆すべき優秀な点があればP大への推薦を受けられる。
ミチヒロに市内の別の高校を提示した。
「ここのサイエンスコースあたりだと、理科をもう少し頑張れば何とか上位を維持できると思う」
ミチヒロは無言で頷いた。
「絶対数学者になる。というつもりならそれでもいいと僕は思っている」
ミチヒロは僕の言葉に顔を上げた。
「お義母さんは気にしているけど、案外とあちこちで数学者というのは活躍していそうだし」
金儲けはしないかもしれないが、生活していく分には自分の好きなことができて幸せかもしれない。
「そのためにミチヒロがどう頑張らなくてはならないか?考える必要があるけどね」
ミチヒロはこくりと頷いた。
「現時点でミチヒロの希望する高校には合格できる分の力量はある。だから、こっちを受けても大丈夫合格する」
先程提示した学校を指差して言う。
「きわどいはなしではないのですか?」
継母が言う。
「大丈夫です」
継母はホッと息を吐き、文字通り胸を撫で下ろす。
「ただ、もう少し理科の内容を満遍なく成績を取れるようになってくれたら、安心だけど」
苦手教科の国語、社会、理科の三教科をどうにかするより、理科を重点的にやった方がミチヒロも楽だろう。そう思った。
父親にも相談するということで、今日は決定まではいかなかった。それでいいと僕は思った。
「ありがとうございました」
継母が頭を下げた。
見るつもりはなかったが胸元が覗けそうになって僕は慌てた。
部屋を出て行くふたりを見送る。
170cmのミチヒロと頭ひとつ違う小柄な継母だが、昔の言葉で言うならばトランジスタグラマというタイプだった。
来た時は気付かなかったが、継母のスカートには結構深いスリットが入っていた。
僕はどうしたものか?と一瞬悩んだが「お義母さん」と呼び止めた。
「スカートのスリット。なかなかきわどいですよ」
継母は「え?」という顔をした。
ミチヒロがすかさず継母の肘を突いた。
「ほら。言ったろ?」
「ミチヒロがボディガードになるかもしれませんが、日本の男も紳士ばかりじゃないですからね。ひとり歩きの際はお気をつけてくださいね」
継母が隣のミチヒロと僕の顔を何度も見た。
どうやらきわどいの意味はわかっているようだ。
「先生。大丈夫。家だとジャージだから」
ミチヒロが笑った。
「それ、いわないで」
継母が言う。
思っていたより親子関係もうまくいっていそうでホッとした。
「じゃあ、また来週」
ふたりが揃って頭を下げて部屋を出て行くのを見届けて、次の生徒の面接の準備に取り掛かった。