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【閏年】#シロクマ文芸部

「閏年の閏と書いてじゅんと読むらしい」
「へぇ。この字も名前に使えるんだ」
「余分な子だったのかな?」
「何で?」
「余分に多いんでしょ?うるうって」

あのぉ、本人に聞こえていますよぉ…なんてね。間違いじゃないからなぁ。
三人兄弟の末っ子。すぐ上の兄とも10歳違う。上にふたりは3歳違い。予定外にできた子で、閏年に生まれたからじゅん。そのまんま。
親はどうかわからないけど兄貴たちは僕をとても可愛がってくれているからいいんだ。うん。

「ごめんね。外野のことは無視してね」
コーヒーを置きながらその人は言った。
綺麗な人だった。
将兄が「2月28日の夕方なんだけど、閏に会って貰いたい人がいるんだ」と言った。
舜兄が「綺麗なおねえさんが社長だから」と言っていたが、この人のことだろうか?
「柾木くん…舜くんの弟さんなんだよね」
「はい」
その人は物珍しそうに俺を見た。
「あんまり似ていないと言われてます」
「そうかな?」
その人はニコリと笑った。
「舜くんにも、将くんにも似てるわよ」
「そうですか?」
「鼻は舜くん。口元は将くん」
「初めて言われました」
「目元もふたりに似ているわよ。メガネがちょっと邪魔だけど」
再びその人は笑った。
「メガネを外してもらえるかしら?」
「え?」
「大丈夫。ここには私とあなたしかいないわ」
僕は観念してメガネを外した。
伊達メガネだ。
人の顔を見るのが苦手だし、人に顔を見られるのも苦手だった。
小さな出版社だった。
出版社と呼べるかも怪しい。
少し前(兄たちがアルバイトをしていた頃)までは、書籍も出していたようだけど、今はweb上での文芸サイトの運営が主な仕事だった。
サイトは評判もよく、評判のいい話をここよりも少し大きな出版社を通じて書籍化していた。
「やっぱり、お兄さんたちに似てるわよ。ふたりとも元気?」
「はい」
「それはよかった」
兄たちとはまだ交流があるはずだ。
顔を合わせる頻度も僕とあまり変わらないのではないか?
兄たちはふたりで組んで映像作家として活動をしていた。
最近は映画作品にも関わっていて、マニア以外にも名前が知れるようになった。
アナログの絵もCGも、そして音楽もふたりで作っていく。
僕は兄たちが撮った実写映像もとても好きだ。
「お兄さんたちから聞いたわよ。脚本、書いているって」
「少し」
兄たちに言われて、書き始めた。
「小説もあるんでしょ?」
「少しだけ」
その人はクスリと笑った。
「将くんが心配しているわ。閏は自分に自信がない子で、折角の才能を活かしきれていない、ってね」
「才能は…ないです」
僕は余分な人間だから、もしも才能があったとしてもそれは余分な才能で、だからそれはどうでもいいものなんだ。
その人は「冷めないうちにどうぞ」とコーヒーを勧めてくれた。
僕はミルクを入れた。スプーンでは混ぜない。そしてひと口飲んだ。
「あ、美味しい」
思った以上に美味しかった。
「それはよかったわ」
その人は何も入れずにコーヒーを飲んだ。
「発表するところがなかったら、うちで出して…なんて言わないわ。是非、うちのサイトで発表してもらえないかしら?」
少し前のめりになってその人は言った。
「お兄さんたちの名前は出さないことが条件でどう?」
「それは…」
兄たちの名前があってこそ、僕に興味を持ってもらえるのではないか?そう思った。
「この話を読ませてもらったの」
コピー用紙にプリントされていたのは、兄たちのフィルムを見て書いた掌編だった。
廃墟が増殖する。外にも広がり、建物の内部も複雑な迷路化を続ける。そんな映像だった。
僕はそこに王を置いた。王はひとりだけど、その王を守るためその廃墟は増殖を続ける。全てが廃墟になり、王もその廃墟に同化する。
兄たちはその話を映像化してくれた。それは僕しか見ていない。
同化したはずの王が、再び、廃墟から溢れ出て物語は終わる。
「読んでいると映像が浮かぶの。それがあなたの世界と一致しているか答え合わせをしたくなる」
その人は少しだけ早口で言った。
どうしよう。正解ならある。僕のパソコンに兄たちが作ってくれた映像が入っている。
「それよりも、あなたに会って話がしたくなった。そして、あなたの話をもっと読みたいと思った」
その人は一度言葉を切ると「あなたに惹かれるのよ」とゆっくりと言った。

家に帰ると兄たちからそれぞれ「どうだった?」とメッセージが届いた。
「書いてみないか?」
「先に閏の文章でみんなに知ってほしい」
兄たちのメッセージに「僕の話を読む人なんているのかな?」と返した。
「いるさ。社長も気に入ってくれただろう?」
「本当は、俺たちの宝として隠しておきたいくらいだ。だけど、たくさんの人に閏を知ってもらって、そして、改めて一緒に作品を作っていきたいと思っている」
兄たちはわざと文字で送ってくるのだと思った。
僕が後からもこのメッセージを読めるように。
兄たちは僕の背中を押してくれている。そう思った。
「何もしないで断るのは失礼だよね」
それは自分に対する言い訳。
たとえ誰も読まなくても、少なくとも兄たちは読んでくれる。そう思ったら気が楽になった。
「一度、書いてみる」
メッセージを送った瞬間、日付が変わった。