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蓬餅

昔、伯母の家に親戚が集まって餅つきをした。
正月のことではない。
「みっちゃんたちはヨモギ摘んでおいで。先っぽの柔らかいとこだけ摘んでくるんだよ」
父の一番上の姉である伯母がテキパキと指示する。
みっちゃんは父の兄の娘で自分より3歳年上。つまり小学生はヨモギを摘んでこいということだった。
伯母の4人の子どもたちは自分とひと回り以上年が離れていて、皆大人だった。
3歳上のみっちゃんと自分と、伯母の孫にあたる桃ちゃんとでヨモギを摘んだ。
伯母の家には20人近く人が集まっていた。
「おばあちゃんのヨモギ餅は美味しいんだよ」
桃ちゃんが言う。
「ヨモギ餅、食べたことがない」と私が言うと、みっちゃんも桃ちゃんも「えー!」と驚いていた。
道の傍に生えているヨモギが食べられること自体、初めて知った。
「美味しいよ。あんこが中に入っているの」
お正月に、父がお餅に粒あんをかけて食べているが、お餅の中にあんこが入っていることも想像がつかない。あんこが入っているのはお団子だったり、お饅頭だったり。
伯母に渡されたカゴいっぱいにヨモギを摘んで帰ると、伯母や他の親戚たちも「上手に摘んだね。ありがとう。後は餅をつき終わるまで遊んでて」と言った。

餅は臼と杵でつく。
初めて見る臼と杵。
父や他の大人の男の人たちが、小屋から持ってきて庭に準備するのを家の中から眺めていた。
しばらくすると「もち米行くよ」という声と共に、白い大きな布に包まれたもち米を伯母たちが運んできて、男衆は待ってましたとばかりに餅をつき始めた。
父と父の3歳年下の弟である叔父のコンビが、一番餅をつく時間が長かった。どちらかが杵を振るうと片方は合いの手を入れる。
滅多に会わない従兄弟姉妹の中には父と叔父を双子と勘違いしている人がいるほどふたりはよく似ていたし、息もぴったりだった。
父が餅をつくというには初めて見る姿で、見ていて楽しいというより少しソワソワした。
「ヨモギ行くよ」
おそらく先程摘んだヨモギを茹でたと思われるものが笊に乗って現れた。
餅をついている臼の中にポンとヨモギ入れる。
父が杵を振り下ろす。
「ほらほら、見においで」
叔父がこちらに向かって声をかける。
サンダルを履いて外に出る。
「こっちにおいで。手を出しちゃダメだよ」
叔父は自分の左側に立つように言った。
みっちゃんと桃ちゃん、ケイタくんとユキちゃん、そして自分の5人がそっと臼の中を覗きこむ。
白い餅と緑のヨモギが杵につかれる。
叔父がそれをひょいと畳むように混ぜる。
そこをまた杵でつく。
杵が離れたところにあったヨモギが餅の中にめり込む。
それを何度か繰り返して、白と緑の2色は突然一緒に混ざり合った。
「うわぁ」
子どもたちの声が上がった。
父も叔父も笑顔になった。
少しして伯母たちがきた。
「どれ?あぁ、そろそろいいかもね」
伯母が「せっちゃん」と家の中に向かって声をかける。
伯父の奥さんである、みっちゃんのお母さんが大きな盆を持って窓越しに伯母に渡す。
盆には白い粉が布かれてあり、その上に叔父がつきたての緑色のヨモギ餅を乗せた。
「さぁ、あんたたちにも手伝ってもらうよ」
私たちは伯母の後について家の中に入った。
みっちゃんと桃ちゃんは伯母たちと一緒にあんこを餅の中に入れて丸める。
手の小さい私はあんこを丸めるチームに加わった。
男の人たちはまた餅をついている。
今ついている餅にはヨモギは入らないらしい。
そんな話を聞きながら真剣にあんこを丸めた。

今思うとおそらく一生分に相当する「あんこを丸める」という作業だったのだろう。
あれ以来、あんこを丸めるということをしたことがない。
そう。伯母の家にみんなが集まってヨモギ餅を作ったのはそれっきりだった。
お正月のお餅をつきに行くことはあっても、その時ほど人は集まらない。
出来立てのヨモギ餅はとても美味しかった。
みんながパクパク嬉しそうに楽しそうに食べていた光景を今でも覚えている。
そしてもちろんヨモギ餅の味も忘れられない。
それにしてもあの時はなぜみんなが集まってヨモギ餅だったのだろう。
「ん?わからねぇな。ま、みんなで食べたくなったんじゃね?」
歳を経ても相変わらず双子のように似ている父と叔父は、どちらも同じことを言う。
歩いて15分程度の場所に住むお酒を飲まないふたりは、どちらからともなく誘い合って饅頭やお団子やらを食べながらお茶を飲む。
「ヨモギ餅、食べたいのか?」
「そうだねぇ。食べたいなぁ」
「餅つき器でもできるようだからやってみるか?」
「でもねぇ、兄貴さん。餅作る分のヨモギがないよ」
「あぁ、そうか。そうだなぁ」
ふたりのそんなやり取りを聴きながら、30年以上前のヨモギ餅の味を密かに思い出している。