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静寂

外から何も音が聞こえてこない夜だった。
普段は家の前を通る車の音だったり、蛙の声、虫の音、五位鷺の声、ご近所さんの奥さんがテレビを見て笑う声…何かしら聞こえてくるのに。
「それは霧雨の降る夜じゃなくて?」
そうかもしれない。
不思議なもので、音がしていてもちっとも気にならないのに、こうして静かな夜が気になってしまう。
カーテンの向こうで世界が終わっているのかもしれない。
そしてそれを確かめるのがなんだか怖い。
「寝るか」
誰も聞いていないのに出してみた声は、思ったよりも頼りなかった。
頼りなくて、自分の声ではないような気がした。

ふと、朝早くに目が覚める。
うすらぼんやりと部屋が明るい。
時刻を確認する。
普段起きる時間より1時間早かった。
静かな朝だった。
故郷にいた頃は、こんな静かな朝は雪が降っていたものだった。
ここでは雪は降らない。
それに、今は真夏だ。
早起きの鳥の声も今朝はしない。
本当に世界が終わってしまったのではないか?そんな気がする。
ベッドサイドのテーブルの上で充電されているスマホに手を伸ばす。
どうか世界が終わっていませんようにと思いつつSNSを立ち上げる。

「なんかわからないけど、昨日から静かなんだよね」

誰かがそう呟いていた。
それに対してなんの反応もないようだった。
「こちらも静かです。車の音も、鳥の声も聞こえません」
そう返した。

静かなのはここだけじゃないんだという安心感と(相手がどこにいるのかわからないのに)、ここだけじゃなく静かな場所があることに対する不安感が混ざり合う。
ベッドから出てカーテンを開けるだけでいいのに、起床時間ではないというのを理由にベッドの中でうだうだしていた。

「そういえば昨日から鳥の声がしません」

僕のレスに返しがあった。
これは本当に世界が終わってしまったのではないか?
生き残った僕らだけが、こうしているのではないか?
寝不足の頭に妄想が広がる。

「あ、新聞が届いた」

向こうの世界はどうやら終わっていなかったようだ。
新聞を取っていない僕の世界の存在は、僕が確認するしかないようだ。
もそもそと起き上がり、カーテンを開ける。
うすらぼんやりとした白い空が広がっている。
アパートの駐車場の向こうにある道路を大きな犬を連れて歩いている人が見えた。
ホッと息を吐く。
こちらの世界もまだ終わっていないようだ。
「こんな朝早くから犬の散歩か」
わざと声に出してみた。
それはきちんと僕の声だった。