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【月曜日】#シロクマ文芸部

「月曜日」と書かれた古い扉。
そこにこんな店があっただろうか?
桂木は扉の前で逡巡した。
営業の帰りだった。ルートセールス、顧客の様子を伺うだけとはいえ、心身ともにすり減るものはある。その上、これから会社に戻って1週間の報告会議だ。
「これだから金曜日は嫌いだ」
営業部の誰もが言う。もちろん、月曜日の朝は誰もが憂鬱そうな顔をしている。
月曜日の朝にも目標会議があるのだ。そこでもまた金曜日に提出された実績の数字ねちっこく突かれた上に週の目標を提示される。金曜日の会議に何の意味があるのか?副部長のネチネチとした、数字に対する文句を聞くだけの時間。リモートだったあの頃を懐かしく思う。数字を送るだけでよかった。
大きくため息をついて歩き出そうとしたその時、その副部長からメッセージが入った。
「会社前で事故が起きて停電となったため、本日は会社に戻らず、直帰で構わない。データも受信不可能のため、月曜日の会議時の提出で構わない。なお、復旧具合では変更もあり得るので、メッセージを見るのを忘れないように」
副部長らしいメッセージだった。
「事故って何だろう?」
ネットで見ることができるだろうか?桂木は扉の前に佇んだままスマホを操作した。
その時、いきなり勢いよく雨が降り出した。
桂木は「月曜日」とある扉を開けた。
「あ」
思わず声が出た。
扉の中は不思議な空間だった。
店と呼んでいいだろう。
店の奥にカウンターがあり、70代と思われる男性がカウンターの中に立ち、5つあるカウンターの椅子のひとつ、真ん中の席にこちらに背を向けて女性が座っていた。
カウンターの中の男性が「いらっしゃい」と言った。
女性が振り返って桂木を見た。
女性もやはり70代、ひょっとしてもっと年上かもしれない。桂木は思った。
「雨ですか?」
「あ、はい」
「どうぞこちらへ」男性が言う。
桂木は招かれるまま中に入った。
店の壁には棚が置かれ、その棚には、実に様々なモノが置かれている。
雑然とした中にも秩序があった。
「どうぞ」
女性は自分の隣に座るよう勧めた。
桂木は女性に言われるまま、女性の左隣に座った。
「あのう。こちらは?」
桂木が言う。
「茶房です」
男性が答える。
そして、「あぁ…」と思い出したかのようにカウンターの内側からメニューを取り出し桂木の前に置いた。
メニューの「茶房・月曜日」の文字の下に「TSUKI - YOUBI」とあった。
「つき、ようび」
「ツキヨウビになさいます?」
「え?」
柏木がメニューを見るとオリジナルティーの中に「月曜日」とあった。
「おすすめですよ」
隣の女性が言う。
女性の前にも茶碗が置かれていた。少し大ぶりの湯呑み茶碗が布製のコースターの上に乗っていた。
「ノンカフェインのブレンド茶です」
「えっと、じゃあそれを」
「承知しました」
そう言うと男性はお湯を沸かし始めた。
店内には本当に耳をすまさなければ聞こえない程度のBGMが流れていた。
「お仕事は、もう終わったの?」
女性が桂木に訊ねる。
「えぇ。まぁ。外回りの仕事で、普段は会社に戻るんですが、今日は戻らなくてもよくなったんです」
「お家はここの近く?」
桂木は考えた。この辺りには仕事でしかきたことがない。家からだったらどのくらいで来れるだろう?
「歩いてだったら20分くらいですかね?」
それを近くというかどうかはわからないと、桂木は思った。昔中学校に通っていた時はそのくらい歩いたような気がした。
「おや?」
カウンターの中から声がした。
桂木と女性は声のした方を向いた。
「どうしました?」
女性が訊ねる。
「また爆発だって」
「また?」
桂木が言う。自分が仕事をしている間に、世間では物騒なことが起きていたようだ。と、思いながら副部長のメッセージを桂木は思い出していた。
「昼過ぎは岸田ビルでしたっけ?」
女性が言う。桂木は驚いた。
「正しくはビルの前のフラワーポットだけど、今度も岸田ビル近くのようだ」
どうやらカウンター下に小さなテレビか何かを置いているようだった。男性がやや背を屈めそれを見ている。
「会社、岸田ビルにあるんです。ビルの3階と4階」
桂木が言うと、ふたりは「え?」「あら」と声を上げた。
「停電しているから戻らなくていいって」
カウンターの中の男性・店主と女性はお互いを見た後、桂木を見た。
「当分会社には行けないんじゃないのかなぁ」
店主が言った。
「そうだといいなぁ」
思わず、桂木は言った。
「会社、嫌いなの?」
女性が訊ねる。
桂木は首を横に振った後「会議が嫌なんです」と言った。
「僕も嫌いだったなぁ。会議」店主が言う。
「打ち合わせは仕方ないけど、報告会議なんて資料見ればわかる話をわざわざ読み上げるのって意味あるのかなぁ…ってずっと思ってた」
「それです」
桂木が言うと「だよねぇ」と店主は笑った。
「はいりました。どうぞ」
桂木の前にコースターを敷くと湯呑み茶碗を置いた。
外見は深い色をしているが茶碗の内側は白い。
そこに明るめな色の茶が注がれる。
「少なくとも来週の月曜日も会議はないんじゃない?」
女性が言う。
桂木は二度三度、息を吹いてから茶を飲んだ。
「あ、おいしい」
「でしょう?」
女性が自分が褒められたかのようにニコニコしている。
桂木はまたひと口、茶を飲んだ。
「ほう」と息が抜ける。
そこで店主が言った。
「ようこそ。ツキヨウビへ」