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殺し屋-【合わせ鏡】#青ブラ文学部

夕方と呼ぶにはまだ早い時刻のフードコート。
小説のプロット作りは人がいるところがいい。
雑多な人を見ていると、自然に頭の中のキャラクターたちも動き出す。
学生が多くいるのは試験前週間だからだろう。
自分の前の4人掛けテーブルに座る女子高生たちは、とりあえずテキストを開いているがおしゃべりに夢中だった。
「午前0時ジャストに合わせ鏡で自分を映すと十三番目に自分の死顔が映るんだって」
相変わらず奇妙な噂話をしている。
そんな楽しそうに言う話か?と思って眉を顰めた。
「死ぬことに現実味がないからな」
隣の丸テーブルに座る男がぼそりと言った。
50代半ばだろうか。くたびれたスーツ着ているがネクタイはしていない。
テーブルの上には水の入った紙コップだけが置かれていた。
「知ってます?」
不意に自分と背中合わせに座っていた男が話しかけて来た。
「合わせ鏡のある懺悔室」
「何です?いきなり」
振り向くと若いスーツ姿の男は愛想のいい笑顔をこちらに向けた。

町の北側の丘の上に古い教会がある。
そこには懺悔室がふたつある。
正しくはその懺悔室に「奥の間」がある。
話を聞いていた神父が「その話は、私よりも聞くのに相応しい方がいらっしゃいます」といい、背後にある姿見を押すように言う。
ほとんどの人がそこに鏡があることに気がついていなかった。
姿見は、回転扉のように回り、ぽっかりと空いた先に部屋が見える。
「どうぞ、そちらで」神父に促されると、大抵の人はその奥の部屋に入る。
奥の部屋には椅子がひとつ。
自分の入ってきた方向を右手に座る。
入って来た側と同じ大きさの姿見が左側にもある。
真ん中に座る自分の姿が左右両方に限りなく映し出される。
気になってどちらかを向くと、そこに映っている幾人もの自分がこちらを見る。
正面にはキリストがいる。磔刑の姿のキリストがいる。
先程の神父が「もう一度ここにいる方に語ってください」と言う。
神父は日本人ではないようで、神父は独特のアクセントの日本語で語る。
誰がその話を聞くというのだ?
それは目の前のキリストなのか?
それとも横に際限なく自分なのか?

「何なんです?それ」
「噂です」
男はにっこりと笑う。
30歳前後であろう。身なりはきちんとしている。靴も磨かれ、少し明るい青みがかったグレイのスーツは、普通のサラリーマンが選ぶとしたら少し派手にも見えたが男にはとてもよく似合っていた。
ネクタイも少し派手に見えるが、この男にはちょうどいい。
黒縁の眼鏡の奥の目は、くっきりとした二重で、目鼻立ちも整い、好青年といった感じではあるが、そこはかとなく胡散臭さが漂う。

合わせ鏡の真ん中。神の前で語られるのは懺悔の言葉というより、恨み言である。
自分を騙した相手や、今の悔恨のきっかけを作った人間のことをそこで語っていると、誰かが問うてくる。
「もしも相手がこの世からいなくなったら、あなたの気は晴れますか?」
「まさか。相手が今ここで死んだとて過去に起きてしまったことは何も変わらない」

気がつくと、自分の隣に座る男が、じっとこちらの話を聞いていた。

「それならばあなたは、何のためにこの懺悔室に来てそれを語ったのです」
その声は、先程の神父の声ではない。
誰だ?と思い左右を見ると鏡に映る幾人もの自分と目が合い、ドキリとする。
「語るだけで済むものなのですか?」
声は言う。

「なんか嫌ですね?唆してくるような」
「そうですよね」
男はこくこくと頷く。
「でもね。それはどうやら殺人の請負らしいのですよ」
「まさか。よりにもよって教会ですよ」
「ですよね」

「相手が死んだところで、何も変わらない。だけど」
と声は言う。
「新聞に載るような死に方をすれば、いろいろ調べられるんじゃないでしょうかねぇ?死んだ人間がどんな人間だったのか?誰もが知るんじゃないですかね?」
その声は悪魔の囁きのように鼓膜に、そして懺悔室の中にいる者の脳髄に染みていく。
「そうですね」
「死者に鞭打つのはどうかと言う者もいますが、生きていて罰せられなければ、その死後、あの世のみならず、この世でも罰せられる。そうじゃないですか?」
「そうですね」
「死んでほしいのは、何処の誰なんですか?神に…いえ、神を騙るのはやめましょう。私に教えてください」
顔を上げても、目の間のキリスト像は見えない。

「そこで、人は、落ちるんです」

自分はじっと男の顔を見た。
男は相変わらず人懐っこい表情でこちらを見ている。
「あぁ、でも、あそこの教会は24時間いつでも懺悔に行っていいのだそうで。神父さんはいつ寝ているのでしょうねぇ?」
「え?あそこ、中に入れるんですか?」
「入れますよ。僕はこの間の日曜日のミサにも行きました」
男は言う。意外だと思う気持ちと納得する気持ちとが同時にわいた。
「たまにね。行くんです。ちょっと気持ちが荒んだ時とか。洗礼は受けてないのですが、あそこは誰にでも門を開けてくれますから」
男が行ったのはミサだけなのだろうか?
ひょっとして、その懺悔室にも男は入ったのではないだろうか?
「すまん」
隣の男の声がした。
自分と眼鏡の男がそっちを向いた。
「その教会は北の丘の教会でいいんですね」
声が少し震えている。
「はい」
眼鏡の男が少し圧倒されながら頷く。
「ありがとう」
そう言って、隣に座っていた男はその場を慌てて立ち去った。
女子高生たちはいつの間にかいなくなっていた。
眼鏡の男…榛原はずっと手にしていたコーヒーを飲み干した。
「一緒にいるからびっくりしましたよ」
「たまたま隣になっただけだよ」
「まぁ、どう話しかけようか悩んでいたので助かりましたけどね」
「お役に立てて何より」
榛原は「次、行きます」と立ち上がった。
「おいおい。随分と立て込んでいるな?」
「覚悟しといてください。しばらく忙しいですよ。お話の締切が近いようでしたら頑張ってくださいね」
可愛くないことを言って笑うと、去って行った。

おそらく今夜、依頼が入るだろう。
自分もすっかり冷めたコーヒーを飲むと、書きかけだった小説のプロットに気持ちを向けた。