泣きたい気持ち

泣きたいような気持ちを抱えて家に帰る。
泣きたいような気持ちは比喩ではない。
会社のエレベーターホールに落ちていたのを見つけて拾った。
少し前には学校の校門にぶら下がっているのを見つけたこともあった。
どうしてそんなところに、と思うところに泣きたような気持ちは転がっていることが多い。
大体の泣きたいような気持ちは何で泣きたいのかがわからずに戸惑っている。
だから、あったかいお茶と甘いお菓子を用意して、ゆっくり話を聞いてあげようと思った。
そう。泣きたいような気持ちはたいてい自分のことがわからない。
自分が泣きたいような気持ちであることもわからない。
でもそのまま放っておくと、泣きたいような気持ちは泣けないままとても怖いものに変わってしまうか、乾涸びて、もう気持ちでもなんでもないものになってしまう。
泣きたような気持ちが、きちんと泣けると、案外今度は強くなって、いろいろ活躍しちゃったりする。
中には自分が泣きたいような気持ちだということを理解しても、泣かないまま、芋虫が綺麗な蝶になるように、変わっていけるものもいる。
つまり、泣きたいような気持ちに一番必要なのは、泣くことよりも、自分が泣きたいような気持ちだということを知ることなのだ。
あたしは根気強く、泣きたいような気持ちの話を聞いた。
泣きたい気持ちはやっぱり自分がなんなのかわかっていないようで、ちょっとトンチンカンな、誰かから聞いた笑い話を続ける。
あたしは「うん、うん」と頷いて話の先を求める。
辻褄が合わない、とか、さっきも同じ話をしてたとかそういう野暮なツッコミは不要だった。
しばらく話をして、泣きたいような気持ちは俯いてこう言った。
「なんだろう?よくわからないけど、泣きたいような気持ちになった」
「いいよ。泣いても」
とあたしは言う。
ここにいるのはあたしだけだから、遠慮はいらない。たとえどんなにみっともなく泣いてもここにはあたししかいないから。誰も泣いてるあんたを馬鹿にしないし、笑わない。
泣きたいような気持ちは、泣くのを堪えていたが、次第にしゃくりあげて、最後は声をあげて、涙をポロポロ流して泣いた。
あたしは時折背中をさするだけで何も言わずに泣くがままにさせていた。
やがて、泣き疲れて、眠ってしまったその気持ちを、明日、暖かい日の当たる場所に置いてこようと思った。