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コンクール出展に向けての作品制作ははっきり言って煮詰まっていた。
美大で油絵をやっている。あと1年で卒業だ。自分の作品がすぐにお金になるとは思っていない。だからといって生活のために自分の描きたい絵以外のものを描く気にもなれない。
就活も控え、これからどうするかをひどく悩んでいた。
「キミの描く絵は嫌いじゃないよ。素直に言えばかなり好きだ」
バイト先のボスが言う。
「嬉しいです」
本当に嬉しい。
「でも俺が好きでも、それがお金直接繋がらないのがアートの世界なんだろう?」
「わかってらっしゃる」
「絵画なんて特に上手い下手の基準じゃないもんな。誰が描いたかで金額が変わる」
「そうです」
「キミがどんなにいい絵を描いても、キミが有名にならなきゃ値段はつかない」
「そうです」
「キミが有名になるには、誰かキーマンに認めてもらわないとね。認めてもらうきっかけがコンテストなんだろう?」
「そうです」
「頑張らないといけないな」
ボスはある意味、大学のセンセイたちより正論でプレッシャーをかけてきた。

過去の入賞傾向を調べて、自分の絵と合っているかどうか?つまりは審査員の好みなのだ。絵画も文芸も名の通った賞を取るか、名のある人に褒めてもらうかのどちらかで作品に価値がつく。それが正しいのか間違っているのかわからない。
生活のためにバイトを始めて2年。こちらの都合のつく時にだけでいいというバイトは身入りがよかった。そのバイトから派生したもうひとつのバイトも自分の性に合っているような気もしたし、同じ「芸術」の世界で生きている先輩にも出会えた。バイト掛け持ちでも制作時間はそこそことれる。このままバイトを続けながら絵を描くというのもいいかもしれない。
「まぁ、そういうのもありだとは思うけれども、いつまでという期限を決めた方がいいと思うよ」と担当教授は言う。
「やっぱり、定職というか、安定しないと家族を養えない」
結婚するつもりはないと告げると「わかってないね」と苦笑いで言った。
「いつかは親を養う時が来るんだよ。兄弟がいるから大丈夫なんてこと考えていたらダメだよ」
ちなみに自分には弟がひとりいる。
「好きなことで飯を食えるにはほんのひと握りだけだ。夢で腹は膨れない」
それが口癖の父の夢は何だったのか。
美大に行くと言った時も、父は渋面で言った。
「美大からで就職はできるのか?」
それに対して何と答えたかおぼえていない。
入学金は母方の祖父母が出してくれた。
あとは奨学金とバイト代で何とかやっている。つまり、父とは、親とは今はうまくいっていない状況なのだ。
つまりは親も学校も自分には才能が、絵で食っていく才能がないと言っているのではないか?

「禾岡が担当なんだ。よりにもよってハズレを引いたね」
第二のバイト先で知り合った先輩に同情された。担当教授は先輩が学生をしていた頃もいたという。
頼まれていた作品の材料-廃業した店から回収した椅子と看板-を届けに先輩の自宅兼アトリエを訪れていた。
「その頃はもちろん教授ではなかったけど」
画家としての収入不足を指導者になることで補填しようと大学に勤めた、と本人が語っていたという。
「本当に人をガッカリさせるのだけはうまかったね」
先輩はひと回りくらい年上で、絵画ではなく造形をしている。その作品に金額がつくようになったのはここ2、3年のことだという。
「アメリカの意識高い系の女優がたまたま出展していたビエンナーレで見て気に入ってくれたんだ。それを向こうのテレビか何かで紹介したらあっという間に倉庫に置きっぱなしになっていた作品が海を渡って行ってしまった。そしたら今度は国内の意識を高く持っていなくちゃいけない人たちが欲しがるようになった」
それなのに先輩は10年以上続けているこのバイトを辞めようとはしない。
「嫌味じゃなくて、本当に自分の作品が正しい評価を受けているのかな?って思ってね。ずっと自分の作品が認められることを望んでいたのに、どこかしっくりこないんだ」
だから先輩は今までの生活となんら変わらない生活を送っているという。
先輩の作品は「無用なもの」で作られる「無用だったもの」だという。
「捨てられたものを材料に作るから材料費はあまりかからないのはいいね」
それらの作品を作り始めた理由は材料を買うだけのお金がないことからだったと先輩は言う。作品で得たお金にはほとんど手をつけていない。相変わらず「不用なもの・無用なもの」で作品を作っている。
「その女優に評価される少し前に、小さな作品を出した展示会があってね」
おもちゃのピアノにオルゴールを仕込み、くたびれたクマのぬいぐるみをピアニストに見立てた。失くなっていた鍵盤は他の不用品で埋め、右目と鼻を失っていたクマにも新しい目と花を与えた。オルゴールは音飛びする箇所はあったがそのままで。曲が流れるとクマがゆっくりと左右に揺れる。クマにではなく椅子に仕掛けがあって、クマでなくてもピアニストは勤まる。流れる曲は「星に願いを」。
その時、ひとりの客が長いこと先輩の作品を見ていたという。
「壁の解説を読んだ後、随分長い時間見ていてね。オルゴールの自動巻きの間もじっと見ていた。その横顔がとても寂しそうだったんで思わず声をかけたんだ」
若い男だったという。
「すみません。この作品の作者ですが、何か気になるところでもありましたでしょうか?」
その人は声をかけられて、ハッとしたように振り向いた。
大きな目が印象的な少し中性的な印象のある人だったという。
「すみません。自分の作品をこんなにも長い時間見ている人はいないもので」と先輩は言った。
その人は涙を溜めていたのであろう。恥ずかしそうに目を擦り、首を振った。その仕草が子どものようで、先輩は声を掛けたことにひどく罪悪感を持ったという。
「この子はあなたが作ったのですか?」
ピアノの前に座るクマのぬいぐるみを指差して言った。
「あぁ、この子は」そう言いかけて先輩は少しだけ可笑しくなったという。
おそらく成人しているであろう目の前の男性がかなりくたびれたクマのぬいぐるみを「この子」と呼び、それにつられて自分までも「この子」と呼んでしまった。
「自分は普段、作品をどう呼んでいるのか?ふと疑問に思ったんだ」
相手はクマだったから「この子」だったのだろうか?
「ぬいぐるみは捨てられていたのを拾って、洗って、取れてたパーツを新しくして…という感じです」
「ピアノも捨てられていたんですか?」
「そうですね。中で動いているオルゴールも。買ったのはピアノと椅子を繋いでいるコードと、椅子が動くために必要な部品の一部。あとはみんな捨てられていたんです」
そういうと男性はまた悲しそうな表情を浮かべた。
「この子はこの後どうなるんですか?」
「この後?あぁ、展示会の後ですか?」
男性はコクリと頷いた。
「そうですね。自分が個展を開けるようになるまで、倉庫の隅にいるんでしょうね」
「倉庫の隅?」
「えぇ」
男性は音飛びのする演奏を続けるクマの方を向いた。
「あなたにとってもこの子は不用な無用なものなのですか?」
そう言って先輩を見る男性の目は、悲しさと少しの怒りとそしてひどく落胆しているように見えたという。
「ドキリとしたね」
先輩は言う。
「自分は無用なものに新たな姿を、作品として新たな使命を与えていたけど、それは他人にとってはやはり無用なものなのかもしれない。そう思っていた。無用なものに対して評価を与える人はいないよね。必要と感じてもらわないと意味がない。ましてや、展示会に出すためだけに作るような作品に自分ですらも愛着を持てるわけがない」
俯いてしまった先輩に、その男性は「すみません」と謝ったという。
「ごめんなさい。よろしかったらこの子を僕に譲っていただけませんか?僕にはこの子が必要なんです」
「その声がとても優しいんだ」
と先輩は、まるでその時の声を今聞いているかのように目を閉じた。

展示会終了後にその作品をその男性に譲ることにしたのだという。
「キミも知っているだろう?大学の理工学部のキャンパスの近くのコーヒーショップ」
「自家焙煎の?」
「そこで待ち合わせして引き渡すことになったんだ」
店のテーブルで設置の仕方を説明した。自動巻きのオンオフや、ピアノの椅子には他のものも乗せることができることなどの説明を、なぜか店のマスターもそばで聞いていた。
「その子の演奏を披露してもらいたいね」
マスターはそう言って店内のBGMを切った。
マスターも「その子」なんだと先輩は嬉しくなったという。
スイッチを入れ、オルゴールのネジが巻き終わるとつっかえつっかえの「星に願いを」が流れ出す。
一曲終わったところで「この子、いいねぇ」とマスターが言った。
「ダメです。ディグは僕のです」
「ディグ?」先輩が聞き返す。
「この子の名前です。古い言葉ですが、英語でお気に入り。埋もれていた中から掘り出されてやって来た僕のお気に入りです」
そう言うとそっとクマと、そしてピアノを撫でた。
もうそれは無用なものでも、作品番号20XX-03じゃなく、彼のディグになっていた。

「自分の作品を愛さなきゃ、他人が愛するわけないよ」先輩は言った。
そのあとすぐに作った作品がアメリカの女優の目にとまった。
「少なくとも彼女は本当に気に入ってくれたと思いたいね」
「そうですね」
本当にそう思った。
クマのピアノ弾きに惹かれたその彼のように。
「キミもさ。コンクールのためだけに描くんじゃなく、描きたいと思うものを見つけた方が描けると思うし、禾岡やお父さんの言葉を気にしなくてもいいんじゃないかな?絵は誰のためでもない、自分が描きたくて描くんだから」
先輩の言葉で、肩に乗っかっていた何かがストンと落ちたような気がした。
「学べるものがあると思ったら上に進めばいいし、そうでなかったら卒業後も今までと同じ感じでいいんじゃないかな?生活はできるわけだし、学校に行かなくていい分、描く時間も増える」
「あ、そうですね。そのとおりだ」
大袈裟ではなく視界までクリアになったような気がした。
「ありがとうございます。スッキリしました。向こうのボスにも報告してきます。これからもよろしくって言ってこなくちゃ」
「そうだね。今夜は店に出るんだろう?」
「そのつもりです」
「じゃあ、また夜に」
外に出ると世界は輝いていた。
「オレって単純」
そう声に出して言う。ひどく楽しい気分だった。