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綿あめ

「あら、ニベさんなくなっちゃったんだ」
助手席の母がいきなり言った。
「ニベさん?」
「さっきのコンビニのところ。昔は薬局だったの。二部薬局さん」
「ふうん」
中心街にコンビニが建つようになって久しい。ここは中心街といっても裏通りだったがそれでもここ数年で随分と景色が変わった。
母の昔の話に出てくる母の祖母(僕の祖父の母)は母の伯父(祖父の長兄)家族と共に中心街に住んでいたのだという。飲み屋街に民家が点在していたという街並みはどんなものだったのか想像できない。
「おばあちゃんちはニベさんの近くの路地を入ったところにあったの」
どの路地なのかわからないが「ふうん」と相槌を打つ。
母は僕が適当に返しているのがわかるのだろう。チラリと目だけでこちらを見た。
「おばあちゃんちに遊びに行くと、おばあちゃんがお小遣いをくれてよこしてね。従姉のおねえちゃんと一緒に二部さんに来て綿あめの機械で綿あめを作るの」
「綿あめの機械?」
縁日でテキ屋のおじさんが綿あめを作る機械しか想像できない。そういえばショッピングセンターのゲームコーナーにもあったかもしれない。綿あめの自動販売機。
「それの小さいヤツよ。そうね。今のガチャポンの機械ぐらいなのかな?小さい頃は大きく思えたけど」
40年以上前の話だ。
「20円入れて、機械にくっついている箱から割り箸取って、飴がふわふわと出て来たら割り箸に巻くの」
母はその頃足が悪く、特別な靴を履いていたのだという。綿あめを食べながら歩くほど上手く歩けない。
「でもね。それを食べながら藤沢さんに行くのが贅沢なのよ」
藤沢さん。藤沢屋は地元の百貨店だったが8年前に大手のグループに吸収されて今は名前が変わってしまった。
「街っ子の醍醐味ってヤツ?」
母はそう言ってフフフと笑う。
「あ、ここに映画館の看板があってね。この裏に映画館があったの。父さんと言ってたな。もちろん一樹もね」
一樹というのは母の弟のことだ。今はこの街を出て東京にいる。
「そういえば、映画館にも綿あめの機械があったなぁ。ニベさんのところと少し形が違った。映画館のが新しかったのかな?」
「ふうん」
「映画観た後に綿あめ作るの」
「観る前じゃなくて?」
「映画を観る時はポップコーンと相場が決まってる」
ポップコーンは売店のおねえさんがカップに入れてくれるのだという。
「昔はバター塩しか味がなくてさぁ」
母と映画を見に行くとキャラメル味と塩味のミックスを必ず買う。
「映画観終わって、ロビーで綿あめを作るの。楽しかったなぁ」
「母さん、綿あめ好きだったんだ」
「作るのはね。砂糖甘いのって昔から苦手なのよね」
そういえばそうだ。ドロップ一個食べて顔を顰めている。
「作った綿あめは父さんが食べたの。父さん、ものすごい甘党でね」
母がいつも自慢げにいう祖父を、僕は写真でしか知らない。
「ニベさんところで作った綿あめは雰囲気で食べてしまうけどね」と笑った。
それにしても最近、母は昔のことをよく話す。
「だって、いろいろ変わるじゃない、景色が」
確かに、どんどん昭和の頃からあった建物はなくなっている。平成になってからの建物もかなり様変わりしている。
「建物がなくなると、前そこに何があったかわからないことって多くない?」母は言う。
「ほら、あそこも」
中心街の外れにぽっかりと空間が出来ていた。
「あそこに何が建っていたか覚えている?」
僕は少し考えた。
「なんか、塾とか入っていた青いビル」
「それはあそこでしょ」
母が道路の反対側を指さした。
「あ、まだあった」
じゃあ、何があったんだろう?
「母さんはわかる?」
「覚えてないわよ」
即答された。
「ね?簡単に忘れちゃう。怖いわよね」
僕は無言で頷いた。
「だからね、覚えているものどんどん話しておこうと思って。特に楽しかったことはさ」
そう言って母は窓の外を流れる景色に顔を向けた。
僕も、いつか今日の日のことを誰かに話すことがあるのだろう。
それは少し寂しいことなのかもしれないけれど。