見出し画像

renAI感情

AIに感情をインプットする。特に「恋愛感情」。
犯罪、特に殺人事件においては「恋愛関係のもつれ」が原因の場合が多い。となれば犯罪捜査AIに恋愛感情は必須ではないか?

「理屈はわかるよ。けどさ、感情なんてそもそもデータにできるのか?」
古薪ラボは現在とんでもなく忙しい。今や空前のAIブームといってもよいだろう。AIのデープラーニングはデータの収集がそもそも大変だ。数もだが、玉石混淆どころではないデータをまずはある程度ブラッシュアップさせる。
各業界から「判断をするため」のAIだったり、「予測をするため」のAIだったり、「創造をするため」のAIだったり…全てAIでいいのか?と思うほどAI開発の相談・依頼がある。
「もういっそAI専門っていっちゃえばいいんじゃない?」本多が言う。
「古薪先生はプログラミングできればなんでもいいんだからさ」
ひどい言いようだと田頭は苦笑いを浮かべる。
「耐震演算プログラムの補正を宵月先生がやってくれなかったら、これも間に合わなかったのに、またまた面倒なものを引き受けてさぁ」
本多の愚痴は止まらない。
「農業気候プログラムはまだ終わってないよ」
農業気候プログラムは屋内で野菜を生産する上で必要な日照時間と温度と水や土壌の性質・養分らを記録・記憶していくことで、品種改良する上で何を変えていけばよいか?を提案してくれるシステムだった。
「でもデバック待ちですよね」
「宵月先生のね」
「宵月先生はいい人なんです。さっさと終わっても期日の前日まで待っていてくれる…って、え?これも宵月先生に頼んだの?優秀すぎるデバッカー。修正も完璧。あれ?ひょっとして予算オーバーしてるんですか?」
「予算も日数も」
システム開発は単純にどのくらいの時間を有するかの時給計算。当初の予定通りにいかないのがこの業界の常である。急な仕様変更。「検討します」の回答待ち。ロスタイムが多い割には締切は決して延びない。日数がタイトになれば人海戦となる分、外注費は上がる。
「うわぁ、だから宵月先生なんですね。外注費かからないし、タイトスケジュールでもクリアしてくれる」
「そういうこと。今回はせめて御中元を奮発しないとな」
「まったくです。他所の先生だというのに」
古薪教授と懇意のP大の宵月博士は「趣味だから」といって無報酬でデバック作業を請け負ってくれる。古薪教授の息子といってもいいくらいの歳の差の宵月教授の「気分転換にちょうどいいよ」という言葉に古薪ラボは甘えっぱなしだ。
田頭はF大工学部の助教授で、工学部学部長である古薪能教授の古薪ラボのシステムプロデューサーでもある。以前はプログラミングもしていたが、現在は数多い依頼を整理するのに追われている。本多は古薪ラボのエンジニアだ。システムエンジニアのほとんどは外注スタッフだが本多は学生の頃からずっと古薪ラボのエンジニアをしていて今に至る。本多の他にも数名いるが本多はラボのエースである。
「でも何だかんだ言っても、農家の人の経験が一番だと思うんだけど」
本多は言うがその経験豊かな「農家の人」が減っている現在、経験をデータに置き換えることが必要となっているのである。
「第一、人の感情ってそんな簡単にデータ化できるものじゃないでしょ?」
「確かに。日照時間や養分のように数値化できるものではないからな」
田頭は依頼要項の書類をファイルに綴じた。
「これって古薪教授が承諾しているんでしょうかね?」
資料を読んでいた本多が言った。
「感情のデータサンプルっていうのがそもそもどんなものか、いくら読んでもわからない」
「同感だ」
サンプルデータが来ると仮定してのAIの学習スケジュールを田頭は作成する。データ数と日数は比例する。システム自体は現在既にあるものを流用できるのでシステム開発には日数はさほど必要としないが、万が一のため、システム開発日数も通常どおり計上する。
しかし、気の乗らない内容である。
いくら感情のデータを覚えさせてもそれは決してAIが感情を得ることではない。アニメや漫画のようにロボットや機械に感情を与えることはできないというよりしない方がいいと田頭は思っている。
「こんな無茶苦茶を古薪教授が承諾してるんでしょうかね?」
再び本多が言う。
「まぁ、サンプルデータは向こうが準備することになっているから、向こうがギブしたら終わりかもしれない」
「頓挫しても、準備したウツワの分はしっかり頂戴する、ってことですか?」
「おそらく」
田頭が頷くと、本多は腕を組み椅子の背にもたれるようにして上を向いた。
「頓挫前提での無茶の承諾。それなら古薪教授らしいのかな?」
うんうんと本多は頷く。
「案外と先生はこういうことを提起して、俺たちに感情のデータ化について提案しているのかもしれないな」
「ありますね。如何にも教授らしい」
「まぁ今はそんな厄介なことをしている暇はないけど」
恋愛感情に限らず人の心をデータ化するというのに対し田頭もかなり懐疑的である。
「そもそもどこまでが感情なんだろうね」
「と言いますと?」
田頭の言葉に本多は首を傾げた。
「例えば、そうだね。恋愛感情のもつれで相手を殺した。うーん、付き合っていた相手が他にも付き合っている人がいることがわかった。悲しい?悔しい?腹が立つ?」
「あー、僕は悲しいかな?信じていたのに…って」
「それは感情だよね」
「そうですね」
「感情ってそこ止まりだと思うんだ。そこから先は思考だよね。そのまま別れるを選ぶか話し合うのか黙ったままなのか。そこはもうほとんどが思考であって、感情的というほど感情の赴くままにできる行動は少ないと思うんだ」
「そうですね。せいぜい泣くか笑うかですよね。感情だけでできるものって」
田頭は本多の言葉が意外だった。目の前の若い男は案外と様々な経験をしているのかもしれないと思った。
「カッとなって思わず殺したっていうけど、殺すを選択するのはカッとした、怒りの感情だけじゃないですよね」
本多の言葉はテレビドラマでの擬似体験からばかりではないような気が田頭はした。
「カッとなって殴った。とか即物的な言い方で逃げるけど、本人にもわからない思考を感情的という言葉にしているだけですよ」
「その思考には感情が影響してないわけでもない。思考の中に潜む諸々の感情ってどうやって掬いあげるのか?」
「難しいですね」
田頭の言葉に本多が眉間に皺を寄せる。
「ましてや恋愛感情とか、AIの前に自分たちが整理できないような気がする」
「自分自身、恋愛なんてしばらくご無沙汰っすね」
「自分も多分今恋愛してないもの」
「え?奥さんは?」
田頭の言葉に今度は本多が露骨に驚いた顔をする。ふたりは立場的にも年齢もそこそこ離れてはいるが、お互いにその辺を越えた信頼関係みたいなものがあった。
田頭には妻と今年3歳になる息子がいる。確か第二子も現在お腹の中にいるのではなかったろうか?と本多は思った。
「好きだよ。妻のことは。同じ家族だけど妻と息子に向けての好きは違う。ましてや自分の親に対するものとも違う。多分自分は妻のことが一番好きだと思うけど、なんとなく恋愛とは違うような気がするんだ」
独身で現在は恋人もいない本多には何も言えない。
「妻と恋愛していた頃もあったからね。その頃と違うのがわかるんだ」
「どんな違いかはわかりませんが、なんとなく田頭さんが言いたいことはわかります」本多は言った。
「恋愛の時のドキドキってあれはなんですかね?自分が相手にどう思われているのか?とか相手のことが知りたくなる」
「そのくせ、自分が思っていたのと違うと腹を立てたり、落ち込んだりするんだよな」
「そうです。そうです」本多が頷く。
「つまり、そういう腹の探り合いみたいなのが今はない、ってことですか?」
「腹の探り合いはひどいな」田頭は苦笑する。
「せめて独りよがりとでも言ってくれよ」
「なんかそれもどうかですね」
今度は本多が苦笑する番だった。
「感情のデータを学んだところでAIはときめいたり、疑ったりしませんからね。AIとの恋愛なんて小説や漫画の中にしかないと思ってますよ」
「僕も同意見だ」田頭が頷く。
「でもね、田頭さん」本多は身を乗り出して言う。
「いつかはAIに電気羊の夢を見せるのが、俺の目標っす」
「ハイレベルな目標だな」
ふたりは次の案件の資料をめくった。