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映画・ゲゲゲの謎は鬼太郎の父親の病気の差別的な設定を改善したという意見に対する異論(ネタバレあり注意)

原作での鬼太郎の父親の病気の描写

ゲゲゲの鬼太郎の原作では、鬼太郎の父親は初登場シーンにおいて、皮膚がなく包帯でグルグル巻きになった大男の姿で登場します。
不治の病になった鬼太郎の父親の治療費の為に、妻が売血銀行で血を売っていたという設定です。

当初はその病気は「らい病」と書かれていたのが、ハンセン病への差別が問題になるにつれて「溶ける病」という架空の病気に修正されました。

皮膚がただれたミイラ男という外見は、ハンセン病が重い皮膚病であるという偏見や、昔のハンセン病者が包帯で全身を覆っていたことを連想させます。
当初の水木氏は鬼太郎の父親を「ハンセン病者」として描いたので、当時のハンセン病への一般的イメージがそのまま反映されているわけです。

(余談ですが、もののけ姫にもそういう包帯で身体を覆った人々が出てきて、作中では明言されないものの、彼らがハンセン病であることが推測できます。)

感染性が低いハンセン病者を強制的に隔離し、子供を産めないように手術したり、治療可能になってからも隔離を続け、穢れた存在として差別した負の歴史が作品の背景にあったことは忘れてはならないことだと思います。

ゲゲゲの謎は原作の差別的な表現を改善した?

今回の映画では、鬼太郎の父親の病気は、ある妖怪の呪いによるものであることが明確に描写されました。

これをもって「原作の差別的な設定を正しいものに修正した」と解釈している方がいましたが、私はそれに対して違和感を持ちました。

まず、既に原作の時点で「ハンセン病」という表現は「溶ける病」として修正されています。
映画が原作の差別的設定を改善したと吹聴すると、まるで今でも原作に「ハンセン病」の設定が残ったままになっているかのような誤解を与えてしまいます

原作では既に「ハンセン病」という表現は「溶ける病」という架空の病気に修正されており、今回の映画はその設定に忠実に乗っかっているだけです。

映画において「溶ける病」とは具体的に何なのかを踏み込んで描写した点が優れているのであり、映画が「ハンセン病」という設定を修正したわけではないのです。

原作を翻案してより面白いものを提供するという制作者の野心的な試みを、差別表現の修正として解釈するのは、差別表現を既に改善している原作とその修正された設定を活用した本作の両方に対する敬意に欠けているのではないかと私は思ってしまいました。

また、原作を改善したという意味では、鬼太郎が墓場から生まれた時から片目であることを劇中ではっきりと描写したことの方が大きいと思いました。

原作における「墓場から生まれた鬼太郎を見た水木が、鬼太郎を墓石にぶつけて片目を失明させた」という水木にドン引きしてしまう設定が無くなっています。

この設定については、「第6期の鬼太郎の恩人であるはずの水木が、鬼太郎の目を潰していたなんて酷い話だ」と言われていたので、第6期の公式設定からそれが消えたのはなかなか良い改善だったと思います。

余談:差別表現をなくすことが差別解消に繋がるのかという難しい問題

ここから先は本題とは関係ない長い余談なので、副題に興味のない方はここで読むのを止めていただければ幸いです

個人的な意見として、ハンセン病をモデルにした描写があったとして、それを差別的として削除するのが正しいのかという疑問を私は持ちます。

確かに皮膚病のミイラ男としてハンセン病者を描いたのは「不正確」なことです。
ですが、そういう不正確なイメージでハンセン病者が描かれたという歴史を片っ端から消していくことが、本当に差別や偏見をなくすことに貢献するとは限りません。
差別をなくすことと差別を隠蔽することを混同してはいけないのです。

1人の意見を全体の代表とみなすことはできませんが、ハンセン病の国賠訴訟で、原告団長をつとめていた谺さんはこんなことを言っています

これが書かれたのは、59年。
もう治療可能な病になっている頃。マンガだからデフォルメされるのは仕方が無いとはいえ、あまりにも、その姿はおどろおどろしい。
谺さんは、その点は批判するが、全体的には、この設定をとても面白がって、話してくれた。

https://ameblo.jp/yabumoto/entry-10588447720.html

水木しげるサイドは、「ハンセン病」という設定をしていたことを伏せておきたいようだが、谺さんは、これをちゃんともう一度公認して欲しいという希望をもっている。
療養所を、地域に解放し、人が訪れる場所にする。それが、療養所にいながらにしての社会復帰だと考えている。
それを、目玉おやじと鬼太郎を中心とした妖怪ファミリーに応援してもらいたいというのだ。

https://ameblo.jp/yabumoto/entry-10588447720.html

谺さんはどうしてこのような発言をしたのでしょうか?
私の推測になってしまいますが、谺さんはハンセン病の負の歴史が忘れ去られてなかったことになるのが嫌だったのだと思います。
間違った表現であったとしても、そのような表現があったという事実を隠蔽してしまえば、ハンセン病差別があったという事実さえも人々から忘れ去られてしまいます。
鬼太郎という国民的人気作品にも、ハンセン病差別の影響があったことは、ある意味ではとても良い教材になります。

差別表現があるからその作品を潰すということはせずに、むしろハンセン病差別を反省するきっかけとして残せばいい。
谺さんはそう考えたのではないかと私は思うわけです。

もちろんハンセン病者やその支援者の方々には様々な意見があるので、ハンセン病者を連想させるような包帯姿を描くことさえ許せないという人もいます。
例えば、「ハンセン病者が実際にそのような包帯姿をしていた」という歴史的な事実を反映したに過ぎないもののけ姫の包帯姿の描写に対しても、批判を表明しているハンセン病者の支援者がいました。

これは2つの思想の対立とも言えます。
1つは、「人々は愚かだから、差別的なイメージを残せば差別を続けてしまう。だから差別的なイメージを全て消していかないといけない」という思想。

もう1つは「人々には知性と理性があるので、差別のあった歴史的事実とその差別が正しくない事の両方を同時に伝えれば、差別的イメージを見ても過去の差別を反省する方向に解釈してくれる」という思想です

どちらの思想にも一理あると思いますし、差別的表現を全てキャンセルしていくべきかどうかは議論の紛糾する問題です。

少なくとも、ゲゲゲの鬼太郎では、ハンセン病という設定を公式に完全になくしています。
それが悪い事だとは思いませんが、谺さんが希望したように、その背景にハンセン病差別の歴史があったことを私達は忘れてはいけないと考えます