感想:ようきなやつら:思想とフィクションのバランスが危ういが素晴らしい作品

この短編集の中で特に素晴らしいと私が思うのは「忍耐サトリくん」です。
行動は善性そのもので、内心は邪悪の化身である教師によって一人の悩める少年が救われます。
この教師は良い先生なのか、悪い先生なのかを議論すれば、意見は真っ二つに分かれることでしょう。

飽くまでも内心は自由であり、行動に表れなければよいと言う人もいれば、
内心が邪悪な人間は何をしても道徳的に劣位にあるので許されないと言う人もいるでしょう
人それぞれの思想があぶり出される極めて興味深い作品です。

ただし、外国人差別をテーマにした川血、MeeToo運動をテーマにした峯落、関東大震災時の朝鮮人虐殺をテーマにした追燈の3作品は、著者の主張をうまく物語に落とし込めていないと感じました。
著者の言いたいことは伝わってきますが、物語としての面白さが不足しています。
私は物語を楽しみたいのであり、著者の演説を聞きたいわけではありません。

特に追燈は、戦争を描いた作品にありがちな失敗をしていると感じました。
関東大震災時の朝鮮人虐殺は実際にあった歴史的事実であり、その歴史を語り継ぐことは極めて重要なことですが、それらを描いた物語は架空の加害者と被害者がいるだけの「嘘の話」でしかありません。
私の言うこの手の作品の失敗とは、「嘘の話」の加害者を実在の人物や国に重ねさせて、憎悪を煽ったり、他人を責めたり、事実と嘘の区別のつかない人を混乱させることです。

このようなフィクションで日本人の横暴に怒りを覚えるのは、永遠のゼロを読んで日本帝国の大和魂に感動しているのと同じことです。
歴史に向き合うことは、嘘の話で怒ったり、悲しんだり、感動することではないはずです。

朝鮮人虐殺を描くマンガを描きたいのならば、事実だけを描くべきと私は考えます。
嘘を交えたフィクションでは、無意味な憎悪を煽るだけと危惧します。

現在の世界では、戦争や民族紛争において、相手国の負の歴史を強調するプロパガンダで相手国への攻撃を正当化する事例が増えています。
そんな時代に、憎悪を煽ることなく負の歴史を正しく伝えていくにはどうすべきか?というのは重要な問題となっています。

負の歴史を真実とフィクションを交えて描くことや、マンガという高い表現力を持つ手段を用いて効率良く憎悪を煽ることの危険性に無自覚なのは「有害」でさえあると警笛を鳴らしたいと私は思います。

本作はたまたま左派的なテーマでしたから、私の批判を「ネトウヨのリベラル批判」と勘違いする人もいるかもしれませんが、思想の左右を問わずに同様の事例は多々あるので、これはマンガ表現全般に対する批判であります。

もし、どうしても朝鮮人虐殺をテーマにしたフィクションを描きたいのならば、例えば猫の国と犬の国の事件として描くなど、歴史的事実と混同されない配慮が必要であると私は強く主張します

結論として、本作の短編には、作者の思想とフィクションとしての面白さのバランスが危うい作品が幾つかあります。
上記で批判したように、明らかにバランスを崩している短編もあります。
ですが、奇跡的な均衡を保つ素晴らしい短編も幾つもあります。
よって本作は素晴らしいものであると私は思います。

長々と批判的な意見も書きましたが、私のつまらない意見ごときでは、本作の素晴らしさは少しも揺らぐことはありません。

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