辰井圭斗個人のあとがき

遼遠小説大賞が終わった。Twitterでは沢山好意的な声を頂いている。私としては、遼遠小説大賞が終わったら、特に私からは発言せず速やかに私のあるべきかたち(=死体)へと移行するつもりだったけれど、思いのほか「遼遠小説大賞を1つのベースに企画をやってみたい」とか「次の遼遠小説を書きたい」といった更に遠くに旅立とうとしている声が多いので、私が知っている限りのことをここに書き残していこうかと思う。何らかの道標になれば幸いだ。


遼遠小説大賞とシステムの話

遼遠小説大賞は私の主観では評議員に多大な負担を掛けた上で首の皮一枚でなんとか成立した。なぜそうギリギリのことになったかといえば、一つにはシステムに対して載せた重みが大き過ぎたからだ。

遼遠小説大賞のシステムは、ご迷惑になるから詳述しないが、Web小説界隈を流れる個人コンテストのシステムを借用している。だから、この企画のために一から構築したものではない。
そして、私は借用したシステムの耐荷重を見誤った。評議員を3人から5人にするだとか、表テーマは設定せずに裏テーマで書いてもらうだとかのアレンジを加えるたびに、走行中の車体は軋みを上げることになった。

荷物を増やすなら車体も改造しなければならなかったのに、2回目に走り出すまでそれに気付かなかった。これは私の愚かさだ。
複数人いる評議員が参加作全作を読んで講評し賞を決定するというシステムは、オーソドックスな「3人」の「表テーマ」の環境において安全に走行できるよう設計されている。下手なアレンジは危険だ。

ではどうすればよかったか。
普通の文学賞は、応募作を審査員が全部読むだなんてことはしない。絞り込む人がいて、最終的に絞られたものを読んで評価する人がいる。
これが1つ。
応募作全部読むことにこだわるなら、「難解な」テーマにはしないことだ。とにかく、どんな作品が良いのか悪いのか、揺れるようなテーマにはしないこと。ある意味容赦なく切って捨てること。
これがもう1つ。

でも、多分もう少し微妙なことがやりたいんだと思う。作品の、普段見過ごされてしまいそうな良さを見つけられるような企画を。

だとしたら、新しい発想をするしかない。そもそも賞という枠組みがその目的に適しているのかとか、色々考慮しなければならないが、ともあれ賞をやるなら、車体から考え直す必要があると思う。

私は講評を最後まで発表せずに隠しておく必要すらないんじゃないかと思っているがどうだろうか。あくまで賞の盛り上げにフォーカスするなら最後にまとめた方がいいが、作者への役立ち度を重視するならば書いて1週間後くらいにパラパラと講評が届く方がよくないか。なんなら、同じ企画で途中で講評を貰ってからそれを踏まえて2作目を書いてもいい。そして2作目は同じ作品を改稿したものでもいいし、新規で書いてもいいとか、ね。文学的なテーマならこっちの方がWebでやる意味があるかもしれない。評議員の負担は相変わらず重いのでそこの再設計はいるけれど。評議員が講評書く作品を選べるといいのかな。或いはもう講評のかたちにしないか。
講評はなしで、評議員が参加作に言及しながら開催期間中に延々文芸評論(またはエッセイ)を連載し続けるのはどうだろう。それで最終的に選考会議をして賞を決める。テーマによっては成立しないかな。だめ?
要するに、「参加者や通りがかりの読者も巻き込んでみんなで少しずつ読んでいく」仕組みを作れないかなということなのだが。

遼遠小説と即時性の問題

「遼遠小説大賞は感想を言いづらいという弱点がある」とよく冗談で言っていた。弱点があると言ったけれど、私はそれを悪いことだとは思っていない。本当に新規性のある未知の小説というものは迂闊に反応できなくて当然だからだ。そして、そういう小説こそが、新しい時代を作っていくのだと私は信じている。

翻って、WebにせよSNSにせよ、即時的に反応できるものが強い場だ。すぐに感想をシェアしたくなるか、もう少し粘っても謎解きの快感がある作品が強い。そういう場所で、「本当に新規性のある未知の小説」というのは分が悪い。でも、それでいいのかとはずっと思っている。

すぐに感想をシェアしたくなるというのは、その作品が「既知」であり、潜在的には「秩序的」だからだ。よく言うではないか。本当に革新的な作品は受けずに、二番煎じ、三番煎じが売れると。即時的な反応が促されるWebやSNSではその傾向が更に強化される。そして、n番煎じが行き先不明のまま溢れ、業界全体が迷子になっている。

小説投稿サイトの中には純文学に特化したものもあるが、それが即時的なWebの反応のシステムに土台を置いている限り、半端になることは約束されている。新規であり未知であることとWeb・SNSの評価システムはあまりに相性が悪い。

じゃあ、どうすればいいのか。私はこれも冗談で「感想を送るのに2日かかる小説投稿サイトを作ろうぜ」と言うのだが、9割冗談で1割本気である。感想を送るのに2日かかったら問題が解決するかといえば全く解決しないが、恐らく「遅延」は必須である。というより、ネットの即時性を意図的に遮断するシステムをどこかで構築しないといけない。

これから遼遠小説を書いていこうという方は、Webで反応が芳しくなくてもあまり落ち込まないでほしい。通常のWeb空間はあまり適した場所ではない。そして、ではどうしたらいいかというのは、実はこの時代の大きなトピックであり、小説が生き残っていくために通る一つの関門だと私は思う。

私はしばらくこの問題を考えて、Webでうまくいくシステムを構築できる未来が見えなかった(大枠として現状のWebの仕組みは私の言っていることが自己犠牲なしに成り立つかたちをしていないように見える)のでWebから離れようとしているが、Webに残る人は健闘を祈る。

いい方法が見つかったら私もパワーアップして戻ってくる。それが“辰井圭斗”かは分からないが。


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