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Letter: 「"おのずから"と"みずから"」と日本的経営


「『おのずから』と『みずから』-日本思想の基層-」(竹内整一)という本を読みました。2つの言葉が同じ「自ら」と書かれることを起点に、日本的な考え方について議論を進めていく本でした。
「おのずから」と「みずから」 ――日本思想の基層 (ちくま学芸文庫 タ-45-2) | 竹内 整一 |本 | 通販 | Amazon


「おのずから」とは「自然、必然・偶然、不可避、無常」などと繋がっていく言葉であり、一方の「みずから」とは「自己、意志、欲望、努力、人為」などと繋がっていく言葉です。

一見すると正反対の2つの言葉が1つの「自ら」に同居することが日本的な考え方を表している、と。
たとえば「このたび結婚することになりました」と言うとき、そこには「自分の意志」と「偶然や成り行き」の重なりがあるわけです。

私たちが「おのずから」と「みずから」の「あわい」を抱えるとき、「自然や偶然に敬意を以て身を任せ、ある面では無常を受け入れ諦め、だからこそむしろ、自分自身の意志と努力で前進しようとする」という独特な姿勢が生まれるのだそうです。


不思議なことに、似たような感性をもった本に続けて出会いました。
 

「共に働くことの意味を問い直す: 職場の現象学入門」(露木恵美子)は、創造的な職場について議論した本でした。
共に働くことの意味を問い直す: 職場の現象学入門 | 露木 恵美子, 山口 一郎, 露木 恵美子, 柳田 正芳 |本 | 通販 | Amazon

職場において創造性が発揮されるとき、その場の参加者は、自分自身の本心に素直に忠実でありながらも、他の参加者に対して自他の区別も溶けてしまうような親密な共感を持っているそうです。「みずから」を強く意識しながら、同時に「みずから」を手放しているような、そういう関係性のなかから創造性が生まれるようです。


あるいは、武術家による「上達論-基本を基本から検討する」(方条遼雨・甲野善紀)という本では、本質的な上達に向かっていくためには、身体の力み・心のプライドや夢などの「余計なこと」を手放し、無私無心に「(身体を動かす方法に関する)原理」に身を委ねることが必要で、そうすると大きな力が「おのずから」働いてくると書いてありました。
上達論 | 甲野 善紀, 方条 遼雨 |本 | 通販 | Amazon

 
そういえば、天王洲アイルで左官職人の挾土秀平さんの展示会が開催されています。左官とは土壁を作る仕事ですので、土や水や風といった自然を相手にする仕事です。彼によれば、「左官の技術とは、『セッティング』の巧拙のこと」だそうです。壁づくりを「職人がセッティングした場で、自然が仕上げをする営み」と捉えているようです。「みずから」出来ることは最善を尽くす、そのうえで「おのずから」に委ねる、と。
左官挾土秀平 | Official website of Syuhei Hasado Home

 
鷲田清一さんは「『待つ』ということ」という本のなかで、ビジネスの現場で使われる言葉には、プロジェクト、プロフィット、プロスペクト、プログラム…など、「プロ(前に・あらかじめ)」という接頭辞の単語に溢れている、と指摘しています。これは、未来に”想定外”を期待しない”前のめり”な姿勢を反映している、と語っています。ここまでの流れに合わせるとすると、「おのずから」の領域さえも「みずから」の手の内に全て入れてしまう(あるいは、そのように出来ると誤認/過信してしまう)姿勢とも言えるでしょう。
「待つ」ということ (角川選書) | 鷲田 清一 |本 | 通販 | Amazon



引用が多くて読みづらい文章になってしまいましたが、経営における日本的なモノを考えていく取っ掛かりになりそうな見立てだと思いました。

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