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片道切符を握りしめて

島根に「移住」した。

ということを実感した時の話。

救急車に運ばれて

私はお酒がとても弱い。でもお酒の場は好きだ。

ある日、地域の飲み会があった。

普段はお酒を飲まないけど、その日はいけるだろうと思って飲んだ。

ほろ酔い一缶。
まだいけるだろうと思っておかわりをした。

半分あたりで「あ、これはやばい。倒れそう。」
そう思った10秒後には倒れてた。

体が動かない。
目を開けない。
口も動かない。

1分くらい意識がなかったらしい。

「はるちゃん、大丈夫?」
それは聞こえる。けど返事ができない。

「救急車呼ぶからねー」

私の鞄の中から保険証を探し、電話をしてくれた。

「24歳、女性。単身赴任です。」

こんな他己紹介をされたのは初めてだった。

あぁ、そういえば私一人で移住したんだ。って思った。

病院には上司(課長と校長先生)が来てくれた。
ありがたさと申し訳なさがすごかった。

今の私から仕事を引くと何もないなぁと思ったりした。

病室で点滴を打って帰宅した。
(私の歓迎会を開いてくれたのに申し訳ない...)

家族には自分で連絡を

運ばれてる時からそう思ってた。

家族に言うとなんて言うかな?
心配してる母の顔が浮かんで言えなかった。(今も)
父には保険証の相談した時に言った。そしたらわろてた。笑
(個人事業主だから社会保険じゃなくて国民健康保険だからややこしい)

その時いた人たちに元気になったことを連絡した。
「元気になったらまたやろうね」
「ゆっくり休んでね」
「もうちょっとしたらお見舞い行くわ!」
そう言ってたくさんのお見舞いをもらった。
それが一人じゃなくて近所の人も来てくれたんだからすごい。

真っ先に連絡したのは恋人だった。
「大丈夫?心配や」と言いながら30分後には車を借りて「6時間後に着くから。」と駆けつけてくれた。
寝て起きたら隣におった。幸。
こういう時、家庭を持っていたら安心するんだろうなぁと思った。

「社会教育やってる人やったら飲まにゃあ」
そう言われても、このエピソードが断る理由になった。笑

ちなみに20歳の時にも救急車したことがある。
ほろ酔い半分で。
4年で1缶分成長したぞ。(少)

なんせ、お酒は控えよう。

片道切符を抱きしめて

それまでは移住した感覚ではなくて、旅先に長期滞在している感覚だった。

これまで実家を出たことは何回もあった。
シェアハウスに住んでみたり、フィリピン留学で寮生活をしたり、ゲストハウスに住んでみたり。
これらは全て終わりのある旅であり、合宿のようなものだった。

今ここにいるのは、合宿ではない。

帰りのチケットはない。自分次第だ。

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