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遊びと学び② 子どもの育ちに関わる大人の役割 #未来の体育

#未来の体育 5日目。

01:遊べない環境は社会の問題
社会的要因(時間や場所など空間がない)がある時代なんだな〜と思いました。

02:遊びのレンズ
「オモシロガル」「困った時に手伝う」等、子どもと関わる時にあそびのレンズで接しられてますか?

03:「褒める」ことをしなくても活動が続けば
寄り添う=褒める?
よりそうワークをしてひたすら褒めようとした自分に違和感を持った。学校現場でも寄り添おうとすると褒めるという行為になることに、「この褒め方でいいのかな?」「この関わりでいいのかな?」って感じます。

04:あそび心を大切にした活動
「遊び」と「あそび心を大切にした活動」の住み分け。昨日の教育とエンタメの会で、「教育がアートになる時」について考えていました。学びの活動時にユーモアやあそび心が生まれる時があるなという所にいったん落ち着きました。それと、「あそび心を大切にした活動」が近いなと思いました。

05:教員(学校という学びの場)が遊びの責任
教育とエンタメ」はまるで「学びと遊び」の話のように途中から聞こえてきた。学校(学びがメインの場)で遊びのニーズがさらにあるのかな?と。

06:遊びを考えることで学びを考える「遊び=本質的に自らの動機に基づく"行動"」
「遊び心を大切にした活動=学びの中にある遊び。営み(?)」
だとしたら、「活動=学び」なのかな?という問いが残りました。

折り返し日になりましたね〜!
おやすみなさいー。

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