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映像をつくるにあたって「計算」って本当に大事だと思うという話

今更そんなこと言うの?って感じなんですけど、映画って計算されて作られてるんですよね。
主人公の腕時計を観て欲しい、って時には時計しか映らないほど寄ってみたり、キッチンで泣いているはずのお母さんの泣き声だけ流して、画は子供部屋で寝れないでいる女の子を映してみていたり。

観客はコントロールされたものを見せられているわけです。
ストーリーに何が大事で、何がいらないかを知らないうちに見て、知っているわけです。


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私が映像表現を学び始めたのは今から4年前のこと。
5年前に研究で文字の認知を取り扱ってから、動いている映像とか色の認知はどうなっているんだろう、と興味を持ち、この道に進みました。
学び始めてわかったんですけど、いや、もう「どうなってるんだろう」どころではありませんでした。
映像がこの世界に生まれたその瞬間から、たくさんの人たちが研究してきた分野でした。
そういう視覚効果を学ぶのがとても楽しくて、文献を読む度にワクワクしていたことを覚えています。
そしてそのワクワクは、勉強を続けている今でも続いています。

でも、日本で映画を観ていたり、制作に参加していると、その計算された手法の部分がかなり弱いような気がしているのです。
もちろん、寄りの画とか、とても顕著な、ベーシックなルールはもちろん踏まえられているのだけど、立ち位置とか構図とか、その場でフレーム内の配置を作ることも多くて。
現場で偶然に、素敵な画が撮れることはあるのだろうけれど、もっと計算されても良いような気がするのです。

私は日本の映像の学校で学んだわけではないので、日本の学校で何をどう教えているのかは分かりません。
でもこの3年、私が日本にいる間、私が学んできたこと、その手法の名前を聞く機会はほとんどありませんでした。

もし、日本の映画・映像界において、そういう知識は経験則で培い、偶然生まれる素敵なカットを「美」としているなら、それはとてももったいないことだなと思っています。


おそらく、ほとんどの(映像業界で働いていない)人には、そういう学術分野があることも知られていないのではないかと思います。
私が昔そうであったように。
本屋さんで、こういった映像表現の本を探してみても、映画に関するエッセイはたくさん見つけられるものの、本棚の割り当てがかなり狭く、海外で出版される分析本の翻訳も多く出ていない印象です。
でも世界では、たくさんの人が映像に関する(伝わる)ルールを学んでいて、研究をしていることも事実です。



この本は、その数少ない映像表現の本棚から見つけたもの。
台詞に頼らない、映像だけの演出方法を実際の映画を引き合いに出して説明してくれています。
演出の意図、ここはこうやって演出しているんだってのがわかりやすく、面白い1冊です。

こういう事を「計算してみると楽しいんだよ」って広めていける人になれたら良いのかな、と最近は考えています。
大それた話になってしまうけど、映画を作る人たちの意識的なところを変えれたりしないかな、とも思い始めていたり。


私個人としては、計算して、その映像がどこまで人の心に響くのか、その瞬間を見てみたいので、やっぱり学ぶことをやめず、計算を以って映像制作に臨みたいです。

#エッセイ #映画制作   #短編映画 #毎日note #映画のこと

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