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久岡幸太郎のすべて

3年前。18-19シーズン。私がアースフレンズ東京Z(アスフレ)を応援しようと決めた頃、久岡幸太郎が特別指定選手として入団してきました。たったそれだけの縁。だけど、何か特別な感情で久岡をずっと追いかけてきた気がします。この話は、決して綺麗事では語れない、私が見てきた久岡のすべて。

1年目~適応力

18-19シーズン、アスフレのPGは『柏倉哲平』と『西山達哉』の二人体制で始まりました。しかし、開幕早々に西山が負傷で離脱。1人になった柏倉は、毎試合35分弱のプレーを強いられ、ヘロヘロな状態になっていました。そこで、3番手のPGとして、『久岡幸太郎』に白羽の矢が立ったのです。

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当時の久岡は中央大学4年生。”B1”の舞台に立つことを夢見て、一般企業への就活すら行わず、バスケに専心していました。そんな状況で、”B2”のアスフレからオファー。B2であることに迷いはあったそうですが、B1に必要なスキルを身に付けられると考え、特別指定選手契約を結びました。

ただ、プロの舞台で見た久岡は、正直に言うと期待外れでした。ディフェンスには光るものがあったものの、オフェンスは明らかにスキル不足。特に目立った活躍は残せず、孤軍奮闘する柏倉の負担は一向に減りませんでした。

PGとして出場した10試合のスタッツ
・平均出場時間:4.8分
・平均得点:1.4点
・平均アシスト:0.5本
・3Pシュート確率:18.8%

気づけば、久岡の出場はガベージタイムのみ。まともなプレイタイムを貰えなくなっていたところ、思わぬ転機が訪れました。エースの増子が、試合中の大怪我でシーズンアウト。空いたSGのポジションで、スタメン出場することになったのです。

なぜPGの久岡がSGに抜擢されたのか。

それは、古田ヘッドコーチ(HC)が、前年にB1へ昇格した秋田をロールモデルとして、ディフェンスで勝つチームを構築しようとしていたからです。生粋のシューターである河相や輪島よりも、久岡の方がディフェンスに優れていると判断し、増子の代役に指名していました。

実際、古田HCの目論見は見事に的中。久岡のディフェンスは、プロ相手でも十分通用していました。それは、自身でもかなり手応えを感じていたようで、以下のように語っています。

久岡幸太郎"ライバルとともに"から抜粋
「ディフェンスは今までやってきたものが通用していると思うし、これからも伸ばしていきたいです」

一方のオフェンス。こちらは良い意味で期待外れ。というのも、PGではスキル不足だった久岡には、優れたキャッチ&シュート能力があったのです。PG 柏倉からキックアウトを受けての3Pシュート。これが驚くほど高確率で決まり、4月には月間成功確率が驚異の60%。オフェンスでも確実にチームに貢献し、もはや攻守に代えのきかない存在になっていました。

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久岡の活躍もあって、アスフレはシーズン終盤に残留争いから抜け出すことができました。チーム成績は決して良いとは言えませんが、ニューヒーロー久岡の誕生は未来への確かな希望。それ故に、この時は露程も思っていませんでした。以降、久岡があんなに苦しむことになるとは。

1年目の成績
◎チーム
・順位:11位(18チーム中)
・勝敗:22勝 38敗(勝率36.7%)

◎個人
・平均出場時間:17.3分
・平均得点:4.9点
・3Pシュート成功確率:41.9%
・平均アシスト:2.0個

2年目~懸念

19-20シーズン、アソシエイトコーチから内部昇格した東頭HCは、ロスターの大型化を図り、選手のポジション変更に踏み切りました。PFの選手をSFへ。SFの選手をSGへ。そして、SGで大活躍した久岡をPGへ。正PGの柏倉が怪我で離脱することが多かったこともあり、久岡はスタメンPGで多くの試合に出場していました。

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ただ、ルーキーシーズンに感じた通り、PGとしての久岡には、相手と渡り合えるだけのスキルと経験がありませんでした。相手ディフェンスの強いプレッシャーに圧倒され、プレーメイクが上手くできなかったり、確率の低いミドルショットを選択してしまったり、プレーの精度が昨シーズンよりも大きく低下してしまいました。

その証拠に、シュート確率が軒並み大きく下がっていたことを、以下に示します。特に3Pシュートに関しては、アテンプトがシーズン100本以上あった選手、84人中77位という残念なランクでした。

昨シーズンとの比較(18-19シーズン)→(19-20シーズン)
・3Pシュート
41.9% → 29.7%  (12.2%down)
・ペイント内シュート
62.8% → 49.1%  (13.7%down)

それでも、久岡のプレイタイムが減ることはありませんでした。1試合平均29.2分は、B2の日本人選手で7番目に多いプレイタイム。普通のプロチームならば、ここまでパフォーマンスの悪い選手を、30分も起用しません。しかし、アスフレは普通のプロチームでなく、吹けば飛ぶような零細チーム。控えがいないほど選手層が薄いため、降格が現実味を帯びるほど負けまくっても、久岡をメインのPGとして使い続けました。

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チームが負けまくっていたこと。チームを率いるPGの久岡が低調なパフォーマンスだったこと。この二つの事実から、久岡のせいで負けていたと誤解されてしまう可能性があるため、一つ補足します。久岡に全く責任がないとは言いませんが、敗戦の根本的な要因は別にあります。というのも、新しく始まった東頭体制は、そもそも短期間で結果が出るようなバスケをしていなかったのです。

東頭HCが就任早々に取り組んだポジション変更。これは、サイズで劣る日本が世界に追いつくための挑戦的な試みでした。しかし、それは『選手ありき』ではなく『挑戦ありき』。選手の適正やスキルは、ほとんど考慮されていませんでした。例えば、日本人ビッグマンとして学生時代からプレーしてきた選手が、いきなりアウトサイドでプレーしろと言われても、そりゃあ難しいでしょう。ポジション変更させたからといって、スキルや適正が勝手に身に付くわけではありませんから。

新しい試みに挑戦していたことは十分伝わってきましたし、ユースの段階から長期的に育成する気概とお金(サポート体制)があれば、いつかは成功したかもしれません。しかし、1シーズンで結果を出すには、残念ながら机上の空論と言わざるを得えないバスケでした。

19-20シーズン チームスタッツ
・ディフェンシブレーティング:96.9(5位)
・オフェンシブレーティング:88.2(最下位)
ディフェンスは大型化の影響が良く出ていたが、オフェンスはダントツの最下位。スキル不足がもろに露呈。

ただ、東頭体制のバスケに問題があったとはいえ、久岡は敗戦の責任を誰よりも強く感じているように見えました。ツイッター上では敗戦が続いても「まだまだ、ここから🔥」「下を向いている暇はない」と戦う姿勢を発信していましたが、コート上で見せる姿は完全に真逆。試合中に下を向いてしまったり、目がうつろな表情をしてしまったり、チームを率いるPGとしては絶対に見せてはいけない姿になっていました。目の前にいる等身大の久岡は、本当に小さくて弱々しかったです。

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実際、その印象は間違っていませんでした。シーズン後に久岡は当時のことを以下のように振り返っています。

コラムの一部抜粋
パフォーマンスに波があり、そのせいでチームに安定感がありませんでした。ポイントガードとしてどうしたらチームを勝たせる事ができるのか。沢山悩みました。負けた試合も何度も見返し、自分のミスを分析して、頭では理解していることがコートで表現できないもどかしさを感じました。

傍から見ていると、考えすぎとしか思えませんでした。まだまだ大卒1年目。チームが勝てないことの責任を、1人で背負う必要は全くありません。繰り返しますが、このシーズンのバスケは机上の空論。誰一人として、良いスタッツを残せていません。久岡のパフォーマンス云々で勝敗が大きく変わるほど、相手との差は小さくありませんでした。

でも、久岡はそういう人間なのです。誰よりも真面目で、誰よりも責任感が強い。ゆえに、抱え込んでしまうのです。このシーズンの言動や思考、様々な面から、それが切なくなるほど伝わってきてました。

だからこそ、私は久岡に対して危うさを感じるようになったのだと思います。まだまだ若いのに真面目で責任感が強いのは素晴らしのですが、何もかもが足りていないアスフレにおいては、損な役回りをすることになってしまうかもと。

2年目の成績
◎チーム
・順位:16位(18チーム中)
・勝敗:12勝 35敗(勝率25.5%)

◎個人
・平均出場時間:29.2分
・平均得点:8.9点
3Pシュート成功確率:29.7%
・平均アシスト:4.2個

3年目~自己犠牲

20-21シーズン。アスフレは、チームを長年支えてきた中堅を一気に放出し、実績あるベテランを獲得。東頭HCが”チーム史上最強”と評価するロスターを作りあげました。コロナ禍でリーグ全体が停滞すると予測し、”Build”から"Win-now"モードを切り替え、勝負をかけたのです。

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若手とベテランの二極化。フランチャイズプレーヤーの退団。大きく様変わりしたロスターにおいて、久岡はスタメンPG、そしてキャプテンを任されました。オンコートとオフコート、あらゆる面で先頭に立つ、チームの新しい顔となったのです。

おそらく、本人もそれをかなり自覚していたでしょう。ツイッターや個人オフィシャルサイトで、外へ向けた発信頻度が増え、発信内容も大きく変わりましたから。その代表例として、契約更新時のコメントを以下に示します。

【契約更新時のコメント】
今までこのクラブを作り上げ、引っ張ってきた偉大な先輩方がチームを離れ不安に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、先輩方が築き上げてきた伝統や文化を受け継ぎ、更にレベルアップしたアースフレンズ東京Zを作り上げていくべく僕がこのチームを引っ張っていきます。自分の目指すところへ行くために、そしてこのチームが目指す場所へ辿り着くために、全身全霊をかけて戦います。

全体的にちょっと肩肘張っている印象は拭えませんが、チームを率いるとファンに向けてはっきりと宣言しています。確かな自信があったのか、はたまた不退転の覚悟なのか。どちらにせよ、久岡がここまで具体的なことを口にするのは、アスフレに入ってから初めてだったと記憶しています。

けれども、その宣言とは裏腹に、チームはシーズン序盤の段階から大きく崩壊していました。負けが大きく先行し、とにかく雰囲気が最悪。仲間が良いプレーしてもベンチの選手が無言だったり、オンコートで倒れた仲間がいても起こす選手がいなかったり、見ていて腹が立つくらいチーム感がありませんでした。

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ファンの批判が耳に入ったからか、東頭HCは「感情表現は人それぞれだから(問題ない)」と選手を擁護していました。が、それをストレートに信じられるほど、ファンの目は節穴ではありません。選手の一挙手一投足に注目し、チームの細部に目を光らせるファンには、チーム全体が異常な状態に陥っているのを肌感覚で理解できていましたから。

実際、メディア「SPOFEELING」が久岡を取材した記事で、その感覚が間違っていなかったことが証明されました。

【Bリーグ第8節】東京Zキャプテン久岡幸太郎が語る「チームディフェンス構築と世代間ギャップの克服」

詳細は上記リンクの記事を読んで頂くとして、ここでは要点だけを紹介します。

【記事の要点抜粋】
◎チームの状況
チームはバラバラ。若手とベテランの間に大きな壁。

◎なぜ壁があるのか
ベテランからのコミュニケーションが少ない。若手は(コーチから)怒られることが多く、自分のことで一杯一杯。

結局、このチームには"Win-now"を実現できる体制が整っていなかったのです。チームをまとめてきた中堅選手を一気に放出したこと(残留させられなかったこと)。ロスターに資金を注ぎ込みすぎてアシスタントコートを雇えなかったこと。これらのようにサポート体制を軽視したことによって、チーム史上最強と宣伝したロスターの内部には、亀裂が生じていたのです。

20-21シーズン 開幕時のコーチングスタッフ
・HC:東頭 俊典
・AC:(2年連続 空位)
・マネージャー:中村 仁美
・フィルム コーディネーター:笹山 和也
・S&Cコーチ:松原 貴弘
・AT:高崎 悠祐

そのうえ、亀裂があるのをわかっていても、それに対応できるだけのリソースがアスフレにはありません。そもそもの人材難に加え、HCも選手も自分のことで一杯一杯。そうなると、なんとかしようと無理してでも動くのは、現場の真面目で責任感が強い人間。そう、久岡です。自分のことは二の次にして、若手とベテランの間を取り持ったり、怒られてへこむ若手を励ましたり、チーム全体を引き上げようと奔走してくれました。

久岡の発言を抜粋
「チームは勝てていないので、自分が何かしらやらないといけない」
「今シーズン個人としても結果は出したいですが、チームの勝利が一番の結果だと考えています。」

久岡のおかげで、特に若手から声が出るようになり、チームの雰囲気は徐々にですが良くなっていきました。しかし、それとは反比例するかたちで、久岡のパフォーマンスは目が当てられないほど悪化。3Pシュートが、全くと言っていいほど決まらなくなってしまいました。

20-21シーズン 久岡のシュート確率
・3Pシュート:20.3%

その確率は、アテンプトがシーズン100本以上あったB2の選手、89人中”最下位”。ルーキシーズンは、アテンプトが少なかったとはいえ40%を超えていたのに、もはや見る影もない状態でした。

「スランプ」。多くのファンは、このように表現していました。けれども、私にはそう思えなかったです。コーナー3Pシュートは得意だったのに、ワイドオープンで放ったシュートがエアボールになること。バンクショットを使うタイプではないのに、45度から放った3Pシュートがボードの最上部に当たること。これらのように、距離感が全く合ってないシュートが毎試合のようにあったのは、明らかに異様。「スランプ」ではなく、「イップス」だと考えていました。

・イップスとは(日本イップス協会より抜粋)
外部からのプレッシャーや自分の心の中で生じるプレッシャーによって普段は何も考えずにできていることが急にできなくなってしまうのがイップスと言われているものです。

チームの問題を解決しようと1人で奔走していたこと。チームを引っ張ると宣言したのに全く勝てないこと。それらを抱え込んだことが過度な心労になり、パファーマンスに影響が出てしまったのではないでしょうか。

もちろん、プロの世界には、シュートが下手なPGもいます。ですが、そういう選手は、プレイメイクがずば抜けて上手かったり、ドライブでペイントまで侵入できるスキルを持っていたり、ウィークポイントを補えるものを他に持っています。

では、久岡はどうか。

オフェンスは良くも悪くも平均的。ルーキー時代に高確率3Pシュートで名を揚げた選手なだけに、シュート力がなくなるとアドバンテージもなくなります。

一方、ディフェンス。こちらは、たしかに上手いです。しかし、チームが全体的にレベルアップしているため、ウィークポイントを補えるほどのアドバンテージにはなっていません。

つまり、シュートが全く入らないウィークポイントは、特に目減りしないまま残ってしまうのです。必然的に、プレイタイムは徐々に減少。シーズン終盤は、年下の栗原にスタメンを奪われてしまいました。

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その後の久岡は、2ndユニットで10分弱のプレイタイム。スタメンになった栗原が目映ゆい光を放って活躍していたこともあり、すっかり影が薄れた状態でシーズンを終えることになってしまいました。

プロの世界は実力・結果が全て。努力が必ずしも評価されるわけではなく、結果を出せなかった選手のプレイタイムが減るのは当然。それはわかっているつもりです。ただ、チームのために誰よりも苦心した久岡が、時折ベンチで曇った表情を浮かべているのは、簡単に受け入れられる光景ではありませんでした。

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3年目の成績
◎チーム
・順位:17位(18チーム中)
・勝敗:13勝 46敗(勝率22.0%)
 →チーム史上最低勝率

◎個人
・平均出場時間:22.5分(6.7分 down)
・平均得点:4.3点(4.6点 down)
3Pシュート成功確率:20.3%(9.4% down)
・平均アシスト:3.7個(0.5個 down)

4年目~生き残りをかけたシーズン

21-22シーズンに向けたオフシーズン。アスフレは、2年続いた東頭体制を完全に解体し、スペイン人のウーゴ・ロペスをHCに迎えてリビルドを選択しました。

20-21シーズン 開幕時のコーチングスタッフ
HC:ウーゴ・ロペス
AC:ルイス・ロメロ・ホアン・ホセ
AC&通訳:水澤 宏介
AT:西村 航
AT:高崎 悠祐
S&C:浅野 卓也
S&C:沼田 幹雄
マネージャー:田村 愛李

久岡は新体制でもキャプテン。そして、PGをやることになるでしょうが、東頭体制でPGに戻ってから2年間、全く結果を出せていません。こと昨シーズンにいたっては、同情する部分が大いにあるものの、プロ選手と呼ぶに値しないパフォーマンス。このままでは、夢のB1どころか、プロの世界から弾かれてしまうことだって現実的にありえます。もう決して若いとはいえない年齢になりつつありますし。

崖っぷちのような状況から脱するには、外から見える具体的な結果が必要。なのですが、如何せんPGのポジションを争うライバルが例年になく強烈です。PGとしては序列4番手。ハンドラーとしては、大怪我から復帰する増子も含めて、序列5番手。これまでのパフォーマンスだったら、プレイタイムを貰うのはかなり難しいでしょう。

PGの選手
◎栗原翼(24歳/日本/継続)
昨シーズンに大躍進したエース候補。相手をぶち抜く縦への突破力が武器。

◎ホアンゴメス・デ・リアノ(21歳/フィリピン/新規)
フィリピン代表(トップチーム)経験がある超期待の新星。得点とアシスト、全てが高水準。

◎マーク・バートン(23歳/日本/新規)
アメリカDⅡの大学でプレーしていたルーキー。正確無比な3Pが武器。

◎久岡幸太郎(24歳/日本/継続)
再起を図る生え抜き。今シーズンは是が非でも結果を残したいところ。

久岡にとっては幸いなことに、今シーズンはこれまで違ってコーチングスタッフが充実しています。しっかりとしたコーチングを受けられるだけでなく、チームのゴタゴタを解決するために、久岡が1人で四苦八苦することはなくなる筈です。

自身のパフォーマンスに集中する時間を増やし、とにもかくにもシュート精度の改善が必要。相手云々でもなく、チーム云々でもなく、全ては個人の問題。何とかして、ルーキーシーズンの頃の輝きを取り戻すしか生き残る方法はありません。あの頃の久岡なら、PG以外にもSG(コンボガード)として活躍できる道が開けてくるでしょうから。

「まだまだここから🔥」

今シーズンこそ、良い表情の久岡に会えることを願っています。

久岡のすべて

金がない。環境が整っていない。勝てない。アスフレは、挙げればきりがないほど、何もかもが足りていない弱小&零細クラブです。ただ、山野社長はそれを隠そうとせず、”ないこと”を「成長のためのストーリー」「ベンチャー(企業)スピリット」と正当化してきました。

卑屈になるよりかはましなので、正当化することを否定するつもりはないです。が、正当化するだけ。少なくとも私が見てきた3年間、現状は大きく変わっていません。それどころか、無理な勝ちを求められ続けた現場は疲労の色が年々濃くなり、状況は悪化しているようにも見えました。

久岡は、そんな状況を打破するため、コート内外でずっと戦っていました。本来ならば自分には関係ない事象でも、自責の思考を貫いて。結果的には、真面目な人間が損をする典型例みたくなっていますが、そのように行動できることは本当に素晴らしいと思います。

それでも、結果が全ての世界では、久岡の自己犠牲を厭わない戦いが記録に残ることはありません。観戦者である我々が忘れてしまえば、全てなかったことになってしまいます。何となくですが、それはダメな気がするのです。

久岡が結果を残してくれるのが一番ですが、例え、結果を残せずキャリアを終えることになったとしても、その歩みはアスフレの歴史として語り継ぐべきではないでしょうか。久岡を称えるという意味でも、チームを戒めるという意味でも。だから、私が見てきた久岡のすべてを、チームの流れに沿ってまとめることにしました。そして、久岡のバスケ人生が続く限り、どんどん追記していくつもりです。

最後にお願いがあります。これはあくまでも私の目線です。なるべく客観的にとは考えて書いていますが、たっぷり私情が入っています。共感して貰えるところもあれば、明確に違うと感じるところもあるでしょう。もし、皆様から見た別の久岡がいるのであれば、ぜひ教えて頂きたいです。いつの日か久岡が引退する時、それらをファンの皆で共有しながら、飲み明かせたらなと思っております。

では、久岡とチームの発展を願って。
Go Win Z !

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