4630万ではなく、1000円札がやってきた
「暑いなぁ、あーめんどくさ」
外の気温があがり、仕事中につい心の本音が出てきた。たしかラジオで昼過ぎは気温が24度になると聴いていた。
自分の真横をみると、老夫婦がアイスを食べながら歩いている。
「いいなぁー。それ食べたいわ」
と、心の中で思った。そんなこんなで仕事車の後ろで作業して数分後、それはそれは見覚えのある何かが風で飛んできた。そいつはついに自分の足に当たった。
その正体は1000円札。
疲れた自分に
「がんばったね。これでアイスでも食べな」
と神様からもらった気分になるくらい、絶妙なタイミングでやってきた。
ラッキー!と思ったと同時にあたりを見渡した。すぐ近くに人はいなかった。なおさらラッキーと思っ たが、誰もいないなら1000円札がやってくることもない。もう少し視野を広げると数分前にアイスを食べていた老夫婦を発見した。
ザッとその距離は100mほど。正直なところ、ちょっと躊躇った。あの夫婦じゃない可能性もあるし、ちょっと遠い。仕事中に1000円のために100m追いかけるのは、わざわざやらなくてもいい気がしてしまった。
でもその気持ちはすぐに消えた。一度でも届けた方がいいと感じたまま、そのお金を使うとたぶん自分が気持ち悪くなり影響でるのは自分だと容易に想像できたからだろう。
自分は100m先に走っていた。
いきなり20代の男が走ってきて、びっくりした表情を老夫婦。お金を落としてないか尋ねると、反射的に胸ポケットに手を入れた。
「あれ、ここに入れてた1000円札がない!お兄さんありがとう!」
1000円が手から離れたはずなのに、手に入った数分前よりも嬉しい気分になった。こっちがお礼をいいたくなるくらいに、清々しい気持ちだ。
結果的に1000円で得られるものよりも、もっと良いものを得ることができた。人の役に立つことの心地よさを忘れていたんだと思う。疲れたり、お腹が減ったり、暑かったり、眠かったり。そんな時こそ、小さな充実感のセンサーが鈍る。
最近は世間では4630万の誤送金のニュースでもちきりだ。正直なところ、あの話は見るたびに疲れるからあまり見たくない。
目の前のお金よりも、自分の心の機微を感じとれたのが良かった。
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