見出し画像

ダンジョン飯から考える食教育

アニメで考える社会問題。
今回は「ダンジョン飯」を通して食教育について考えていこうと思います。

「ダンジョン飯」は丁度今放送中のアニメで、耳にしたことのある方も多くいらっしゃると思います。
主人公の「ライオス」が仲間と共にダンジョンを攻略しながら、ドラゴンに食われた妹を救出する話で、その道中で、ダンジョンのモンスターや植物を調理して食べるのが特徴的な作品となっております。
登場する料理は現実のものがモデルになっていますので、一見はとても美味しそうです。
しかし、具材はダンジョンのモンスター….
そのギャップがまた興味をそそる….
そんな作品となっております。

前述した通り、ライオスたちはダンジョンに出てくるモンスターを狩って生活しているわけですが、当然無心で食べているわけではございません。
時には原型を思い出して気分を害しながら食べているわけです。
特に魔術師の「マルシル」は人一倍モンスターを食べることに抵抗を感じております。
私たちもその立場だったら、きっと食べることに難色を示すことでしょう。
それはモンスターに限らず、「現実の動物」であってもそうだと思います。

さて、本日のテーマでございます。
皆さんはスーパーで肉を見かけるときに、いやな気分になりますか?
多くの方は「いいえ」と答えることでしょう。
私も「いいえ」と答えます。
なぜなら、それが「普通」の光景だからでございます。

では皆さんはスーパーで肉を買うときに、目の前で生きていた動物が屠殺され、加工されているのを見て、同じことが言えますか?
これも多くの方は「いいえ」と答えることでしょう。
私も「いいえ」と答えます。
上との違いはなんでしょう?
「目の前で加工されているかどうか」ですね。

日本で住んでいると、基本的に動物が食肉に加工される様子なんて見ることもなければ学ぶことはありませんよね。
それが、「自らでやる」となったら尚更でしょう。

「加工済は大丈夫」
「加工前は可哀そう」

同じ命なのに、この違いは何でしょうか?
私はここに、教育の不足を感じました。

近年では「フードロス」が深刻な問題になっています。
多くの企業でその対策に身を乗り出しておりましが、最終的なフードロスの発生は消費者であり、残して捨てる等が常態化していることにあると私は考えております。
なぜそれが常態化しているのか?
そう、「教育の不足」です。

動物にせよ植物にせよ、「命をいただいている」わけです。
「残す」というのはそれの軽視ではないでしょうか?
だからこそ、義務教育を通して「命をいただく」ことを学ぶべきではないでしょうか?
前日の記事でも述べましたが、義務教育は「①基礎的な知識と技能の醸成」、「②市民・国民としての教育」、「③未来の労働力を育成し、社会を発展し安定させる」の3点を達成するためにあります。
「命をいただく」ことを学ぶというのは、「①基礎的な知識と技能の醸成」、「②市民・国民としての教育」を達成するために必要なのではないでしょうか?
一部の学校では、そのようなカリキュラムを導入しているようではございますが、これは全国でも取り入れられるべきだと考えます。
「残さず食べることを定着させるため」というのもありますが、なにより「命をいただいて生きている」ということを、幼いうちに知るべきだと私は思います。
ダンジョン飯でも、マルシルは嫌々ながらもちゃんと美味しく食べきっております。

ちなみに、本記事は決して何かを否定する目的で書かれていないことは明言させていただきます。
チャーシュー大好きです。
牛タン大好きです。
焼肉大好きです。
いつもありがたくいただかせていただいております。

今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。

余談ではございますが、マルシルは定期的に髪型を変えています。
ご覧になる際は是非そこにも注目してください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?