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小説『海風』僕の話(1)【第一章を無料公開中】

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風を浴びたい。

僕らの間を吹き抜ける海風を。

そして全ては命を取り戻すだろう。

重荷もきれいに、風と共に去っていく。

沈んで。波にのまれて。太陽に届いて。

最後はどこへ行きつくでもなく、ただ海風として。


僕の話

 生きることは死ぬことを内包している。出会いは別れを孕んでいて、幸せもどこか悲しげな顔をしている。
「君を、愛していないんだ」
正確にはその時、愛がどういうものなのか、僕にはわからなかった。そんな高尚なものがこの世にあるのかすら。少なくとも、僕の中にはないんだと思う。
「君は、そうやってずっと生きていくんだね」
「わからない……」
その先の言葉は続かない。彼女の目には影が差し、光を透かさない暗い雲が覆って、何を言っても無駄だとわかる鈍色をしていた。
「さようなら。」
「待って!」
彼女のうしろには真空が広がっていて、僕の声は届かなかった。
「待ってくれよ!」
あるいは僕の中はいつの間にか真空になっていて、声なんか出ていなかったのかもしれない。視界から消えていく彼女は、暗闇に混じって溶けていく。

 その日以来、僕は彼女に会っていない。愛するとは何なのか。未だにその答えは出ていなかった。愛していなかったのか、愛だと気づかずにいたのか。いや、僕の中に人を愛するなんて綺麗で精妙なものが存在するとは、まだどうしても思えない。別れてから半年以上経った今も、こうしてふとした時に、未練がましく哲学の海を心は勝手に泳いでしまう。そんな思考から離れたくて、スマホを取り出して暗証番号を押す。何も考えたくない時、SNSというのは便利だ。途方もない情報の渦に沈んでいるだけで時間が過ぎ去っていく。

明日、月曜日とかだりい



たった一人、友人と言える彼の投稿に僕は「いいね」を押す。でも実際のところ別に良いとは思っていない。見ているし共感もしているというアピールにすぎなかった。確かに月曜日は憂鬱であるのだし。

愛って何だろう?

一度打ち込んだ内容を投稿せずに消した。下書きにも残さないように慎重に。こんな時にまで人の目を気にしてしまうのはなぜなのだろう。そして、どうしてこんなにも彼女のことを思い出してしまうのだろう。それはきっと、もうすぐ夏が来るからだ。段々と暑さを増していく気温に、記憶の氷がじんわりと溶かされていく。彼女は「夏を愛している」と言っていた。僕はあまり夏が好きではない。暑いし、なんだか眩しい。「私は夏で夏は私なの」彼女は続けて言った。それが愛なのだろうか?ならば、僕はきっと彼女を愛していなかったのだと思う。彼女と僕は全く違ったのだから。

 付き合ってから、僕らは二人でよく海を眺めていた。車なんて持たない僕らは、電車で四時間もかけてその場所に何度も向かった。なぜか彼女は千葉の端っこにある、辺鄙で静かな町の海が好きだった。その日は、暦の上ではもう秋だというのに、嫌になるくらいジリジリと熱い日差しが照り付けていた。だけど彼女はむしろ生き生きと、一層輝いて見える。白いノースリーブのワンピースにビーチサンダルというシンプルな格好だけど、時々覗かせる腋や透けて見える水着は、心臓をキュッと掴まれるような心地がする。海も彼女も眩しくて直視することができない。目を薄めながら、腕にジワリと浮かんでは流れる汗と、ドロッとしたうねりが砂浜に押し寄せるのを、交互に見ていた。強い風が吹いて、彼女の麦わら帽子が飛びそうに空気を含んだ時、彼女はそれを片手で押さえながら言った。
「私、海風が好き」
確かに今の風は、汗ばんだ体をいくらか冷やしてくれたし、火照った体温を少し下げてくれた。僕はふと思った疑問をぶつける。
「海風ってさ。海に吹く風なの?それとも海から吹く風?海の上で吹く風?」
彼女は「うーん」と声に出しながら少し迷ったあと答える。
「どれも海風なんじゃないかな。それに、私が海風って思ったらそれが海風だもん」
そういう問題なのだろうか?彼女の理屈には時々ついていけない。その時、モワッとした風とも呼べないような、熱を帯びた湿気の塊がゆっくりと僕らに覆い被さり、誰かのため息みたいだなと思いながら尋ねた。
「じゃあ今の風は?」
「今のはぜんっぜん海風じゃない!」
彼女は笑った。僕は彼女の笑った顔が好きだ。いつも滞りなく動く顔の筋肉は、僕とはその作りからして違う気がする。
「いつか君にも海風が分かる時が来るよ」
彼女はそう言ってまた笑う。

「海まで歩こう」
何かの啓示のように頭を掠めたその思考は、なぜか心にしっかりと触れて、確かな感触を持って留まった。フラフラと飛んでいた間抜けな鳥が止まり木を見つけたように。どうせならあの砂浜まで歩こう。そうしたら僕にも、彼女が言っていた海風が分かるかもしれない。そして、愛とは何なのかも。

【海まで歩くことにした。どれくらいかかるか分からないけれど、ただ海風を浴びたいんだ】

この投稿に「いいね」は要らない。これは決意と言えば大袈裟だけど、自分への、彼女への約束だ。そういえば、明日は月曜日だった。大学はサボることにしよう。

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◆完全独力で執筆(執筆・編集・表紙デザイン)の処女作

「海まで歩こう」
何かの啓示のように頭を掠めたその思考は、なぜか心にしっかりと触れて、確かな感触を持って留まった。フラフラと飛んでいた間抜けな鳥が止まり木を見つけたように。どうせならあの砂浜まで歩こう。そうしたら僕にも、彼女が言っていた海風が分かるかもしれない。そして、愛とは何なのかも。(本文より引用)

「バイト、大学、読書」という定型の生活を送る大学生の”僕”。
突然話しかけてきて「友達」になった”彼”や、
別れてしまった”彼女”との日々によって、
”僕”の人生に不確実性と彩りが与えられていく。
僕だけが知らない3人の秘密。徐々に明らかになる事実とは?

「愛とは何か」「生きるとは何か」「自分とは何か」

ごちゃごちゃに絡まった糸を解きほぐし、
本当の自分と本物の世界を見つける物語。

<著者について>
武藤達也(1996年8月22日生まれ)
法政大学を卒業後、新卒入社した会社を1年3ヶ月で退職。
その後は山と廃屋を開拓してキャンプ場をオープン。
3年間キャンプ場に携わり、卒業した現在は海外渡航予定。
ブログ「無知の地」は限りなく透明に近いPV数でたまに更新中。

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