日没のリインバース 第二十四話 「とある魔法少女の独白」
私は転生してきた。何度も。数えられないほどに何度も。
その過程でたくさんの世界を見てきた。飢餓や疫病が蔓延する世界。暴力が支配する世界。怪物たちが蔓延る世界。原始的な世界。壮大な宇宙を巡る世界。全てがデジタルな世界。全てが平等な世界。愛が全てだと言う世界……。
どれほど表面的には暗い世界にも、それぞれの人間には光が存在し、どんなに美しい世界であっても、そこに生きる誰もが空虚な闇を一寸は抱えていた。醜い世界にも美しい精神の者はいるし、平和に見えても、実は誰もが苦しんでいる。その全ての世界で、人智を超えたものを神だとか真理、イデアといった様々な名で呼んでいた。
この魔法の世界に生まれた時、私は赤子だった。他の世界にはない感覚器官が躍動し、「ああ、また生きてるんだ」と何度目かわからない失望を覚える。多くの人々が古くから不老不死を求め、自分の生きる世界を抜け出したいと願い、壮大な冒険を夢見た。そのどれもが単なるプログラムの発露でしかない。操られていることに気づかない愚かな望み。結局は、原初の頃から決められている快と不快の二元論。その延長に過ぎないのに。
だけど、私たちは何が本当の快で何が不快なのか、ごちゃごちゃと混ぜ合わせてしまった。あまりにも不完全な存在で、だからこそ、そこにどうしようもなく自由が宿ってしまう。自由で、それがとてつもなく不安で、結局は文化やら宗教、経済だとか愛だとか、とにかく明確な答えに縋り付こうとする。その全部が、快を求め不快を避けようとするその営みに過ぎない。
人はいつだって意味を問う、けれど、本当は全部に意味なんてない。ただ住んでいる宇宙が膨張しているから、その流れに従っているだけ。暮らしている星が形を保とうとするから、私たちもその形を保とうとするだけ。それは単なる現象。だから私たちもただの現象に過ぎない。ややこしい意識や科学も、魔法だって、複雑な思考を持ったゆえに目的と手段がわからなくなって、ただ新しい快感や安定を生み出そうとした結果なのだ。死のうが生きようが、生まれ変わったのが例え、虫や魚でも、花や石ころであろうとも何も変わらない。まだ見ぬ快楽を、安定を夢見てそれを追い続けている。その全部がくだらないし、どうでもいい。
私はこの世界ではカンナだった。母はなぜか狐のお面を被っていて、私には正義の役割とその名前を与えた。涅槃という組織はタロットカードをモチーフにしているようだ。ちなみに母は月のカードだ。「ワシはもう逆位置になったのじゃ」と言っていた。確かに月の正位置が表すのは不安や憂鬱や迷いで、母のイメージには似合わない。
正直に言って、またくだらないことをしている。そう思ってしまった。母という役割、子供という役割。それすらも長く生きてきた私にとっては単なる遊びの延長で、幼稚なおままごとみたいなものだった。だけど、この宇宙リインバース自体が遊ぶことを目的に設計されていて、私だってどうしようもなく快と不快を感じてしまう。感情は抑え込むこともできるけど、それ自体を消せはしない。そう。この世に生まれた以上、このゲームを楽しむ以外に生きる意味もない。私にはもっと重要な役割があるけれど、この世界を十分に知ってからでいいだろう。だからただ正義の役割を演じてみるのもいいかもしれない。
そうして私は肉体データを参照しながら演技を始めた。涅槃という組織はどうやら上位次元の歴史をなぞっているらしい。それによって平和が実現できると本気で信じているようだ。他の異世界にはあまり無い発想で純粋に面白いとは思う。そもそもアカシックレコード(単なるプレイヤー用のUIだが)にアクセスできる人間がほとんどいなかったのだから当然か。この世界のセックスや出産に何かしらのバグというか特異性があるんだろう。
しかし、歴史をなぞったところで何にもならないと思う。全ての行動はバタフライエフェクト的に関連しあっていて、初期入力の変数が少しでも変わってしまうだけで、出力される結果は全く別物になってしまう。彼らの発想は月並みだ。自分たちは単純なベルカーブの世界に暮らしていると思っている。本当の世界は複雑系なのに。
まあ、それでも実験という意味では面白いかもしれない。どの程度うまくいくのか。そう思ってしばらくは見守っていたけれど、どうやら彼らはこのゲームの仕様を知らないらしい。仕様などの裏設定は表には出ていないし、この世界でしか生きていないのだから当然か。
実のところ、リインバースにおける魂は有限だ。つまり、死んだ人間のデータを別の世界で再利用することによって成り立っている。言ってしまえば全員が転生しているのだ。記憶を無くして。そして、その魂の総数は決まっている。これはたかが人間が生み出したゲームなのだから当たり前だ。
データのキャパシティには限界がある。そしてこの世界で人口が爆発的に増えることはもはや不可能だ。プレイヤーたちが居なくなって500年が経ち、異世界でも人口は増え、もうデータの上限が近づいている。歴史上、人口の増加が果たした役割は非常に大きい。それが得られないとすれば、演繹法における大前提が崩れることになる。そもそもの条件が違うのだ。
それに……世界は大きな結果だけが形作るものじゃない。文化や歴史は小さな事象が無数に積み重なってできている、埋もれて見えない結果の集積だ。それらを無視して、目の前の、目に映る結果だけを追い求めた先にあるのは滅びしかない。それはどの世界でも共通していた。有限の世界で短期的な利益を追い求めれば、長くは持たない。それこそ自然の大きな流れによって淘汰されるだけ。
そんなわけで興醒めした私は、涅槃を抜けてルナンの国で住むことにした。もちろん足跡は完璧に消して。母は単なる一時の気の迷いとでも思ってくれただろう。アカシックレコードからログアウトしたことに見せかけた。でも実は切断していても閲覧はできる。そんな裏技めいたものはいくらでも持っていた。私はこのゲームの運営が生み出した特別な存在としてデザインされているからだ。バグや禁止事項を行うプレイヤーなんかを排除する修正者が私の本来の役割。ゲームのプログラムコード自体をいじることはできずとも、プレイヤーが仕様上行うことのできた権限は無制限に扱える。
これは私の持論だけど、自分の生きる世界を知るには、実際に暮らすことと、旅をすることが最も効率がいい。この世界でもそのルーティンを実行し、最後にはバグを排除して他世界へ転生する。それだけのことだ。住居をルナンにしたのは、色々と理由もあるが、最終的にはよくわからない。このゲームの生みの親が日本人だからかもしれないし、それが私に愛着を抱かせたのかもしれない。だけど自分の細かい設定を知ることはできなかった。だから強いて言えば直感。囁いたのだ。私のゴーストが。
そうしてルナンに暮らし始めてすぐの頃、長月トバリと出会った。彼は涅槃のメンバー以外では初めて見る闇魔法の適性者だったから、そこでほんの少しの興味があったことは認めよう。そして、私は明光カンナの設定を忠実に全うした。弱者を助ける正義のヒーロー。この肉体データに刻まれたコードに従っただけ。それが長い年月で辿り着いた、世界に馴染むための冴えたやり方だった。
いちいち自分のキャラクターや自我といったものを創ろうとしても仕方がない。この肉体の行動原理はあらゆる遺伝的なもの、歴史的、文化的なものや、他者との関わりの中で形成されている。そこに本当の『私』なる1つの意識は存在し得ない。起こった事象に対して有意な反応を示すコードと、示さないコードの組み合わせが複雑なグラデーションを描いているだけだ。そういう自己を持った方が個体の生存には有利に働くことも知っている。多くの人はそこに囚われているけど。
そして、いつの間にか私の肉体データは長月トバリを好きになっていた。グラデーションの範囲を拡張することが私たちのプログラムに求められていることだとしたら、これは納得できる帰結だ。正反対の性質を掛け合わせることで、生存の可能性は広がる。人類は歴史上、多くの微生物との共生や、無駄とも思える多様性を許容することで絶滅するリスクを分散してきた。彼によって私の可能性は最大限に拡張される。そういうプログラムの判断だろう。それは彼の方が如実に感じていたかもしれない。NPCで弱者、闇属性の長月トバリと、転生者で強者、光属性の明光カンナ。どんな反応が起こるのか興味深い、ただそれだけのことだ。
やはり、どの世界でも暮らし自体は退屈だ。感情は楽しいと言っていても、何度も転生してきたこの意識にとってみれば、そんな肉体データの反応すら見飽きていたし、周りに合わせて自分を偽るのは疲れる。記憶をなくして、無知なままで暮らすことが羨ましいと何度思っただろう。限界を知らず、真実も知らず、ただ目の前の人生をがむしゃらに歩んでいくことは、最も幸せなことかもしれない。死ねることがどれだけ幸せなことか皆知らない。どうしようもなく低次元なやり取りが繰り返される日常というものには飽き飽きしてくる。でも、どこまで行ってもこの世界自体が遊びなのだから仕方がない。
そんなくだらない日常をしばらく過ごしてきたが、長月トバリはなかなか成長しなかった。でもなんで私は彼に成長なんて期待したんだろう。理屈っぽいだけで実力の伴っていない頭でっかちな理想屋。そんな彼に私の運命を変えるような力があるなんてありえないことだ。ただの肉体データの反応に過ぎないだろう。まあ時がくればわかることだ。
彼には何か大きなきっかけが必要だった。ちょうどよく戦争も始まったし、涅槃に対してちょっとした隙を見せることにした。1週間ほどルナンを離れ、涅槃の1人を殺し、ルナンの各地にアクセスログを残した。彼らも言ってしまえばバグであり排除対象。いつかはやらなくてはならないと思っていたことだ。これは私に与えられた宿命なのだから。こうすれば私を殺そうと躍起になることは目に見えている。メンバーがどうしても増えにくい組織だからこそ、ああ見えて仲間意識は強い。
そしてやはりというべきか、彼らは派手すぎるほどの登場を見せた。餌に食いついたというわけだ。私の弱みを握った気になって、多くを人質にしながらやってきた。どの世界でも人はどうしようもなく単純で、私がバカを演じておけば簡単にマウントを取った気になって調子づく。それすら既定路線だというのに。
案の定、私はこの世界では健気で強くて自己犠牲を厭わない正義の味方。彼らは悪魔の使い。そんな構図になった。長月トバリのためにも、ドラマは必要だったし、プレイヤー仕様を封じて戦った。流石にアンダカは並大抵じゃない。涅槃でも戦闘能力で言えば屈指の実力者だ。普通に楽しい相手だった。卯月先生が涅槃の元メンバーだったことには驚いたし、とてもイレギュラーだった。私が所属している時にはすでに抜けていたらしい。私抜きでアンダカに勝利してしまう展開は避けたかったけど、杞憂に終わってくれてよかった。私は転生すら許さない神殺しの武器を使用してバグを排除した。唐突だったかもしれないけど、死に際に覚醒するストーリーは王道だし、別に構わないだろう。
そして最後の仕上げに私は消息を断つことにした。プレイヤー用UIにアクセスして、すぐ切断する。それに加えて目撃者もいるので状況証拠も十分だった。死んだことにすればこれで色々と動きやすくなる。この世界の仕様についてもう少し知っておきたかったし、戦争の行く末も見ておきたいとは思っていた。計画の第二段階だ。色々と世界を巡りつつ実験を繰り返しながら見守ることにする。
そして、あれから10年近い月日が流れていた。どうやらトバリは私の魔力にうまく適応し、涅槃の一員になったようだ。当初から比べて驚くほどの成長に嬉しくなる。この嬉しいという感情も単なるプログラムから導き出されているのだけれど。この世界は大体巡り尽くしたし、計画も第三段階に移行する頃合いだ。私は本当の役目を果たさなくてはならない。バグをこのゲームから排除する。異分子は排除しなくてはいけない。彼らの名前にふさわしい言い方をするなら、輪廻からの解脱とでも言えるか。
そうしてこの1、2年ほど一緒に行動している面々は、終戦後も傭兵部隊として活躍しながら涅槃を追っているらしい。運命の悪戯というべきか、かつて長月トバリが隊長を務めた部隊だ。どの世界でも思ったことだが、目的を持って動き続けていればいつかは交わる。それがいかに皮肉めいたものであっても。それにしても、なぜか全員が私のことを知っていたのは驚いた。弥生カルラはともかく、他のメンバーとの接触はないはずだが、まあどうでもいいことだ。NPCにしてはかなりの強者と言える。現に私と二手に別れてすでに何人かの涅槃メンバーは討ち取っていた。道化師ジョジョと死神サリエルは彼らが殺してくれた。私は彼らを殺すのが少し嫌だったから押し付けてしまったのだけど。
そして今、残す涅槃の連中は4人だけになった。月と力、太陽と教皇。彼らには太陽と教皇、私が母と恋人を殺すことになる。これは私の運命。湧き上がる感情は、もっと上位のプログラムコードを前にしてはなんの意味もなさない。肉体データの反応を遮断する。この世界は魔素の揺らぎを抑えれば感情も抑制される。他の世界より簡単だ。だから何の問題もない。これでこの世界での大きな役割は終えられるだろう。私は彼らが帰る塔で待ち受ける。神からの刺客として。
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