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明後日の100年前


情報元のはっきりしないただの噂話に近いことを盲信 
例えばわたしにとってそれは音楽を聴くと脳内の情報がかき消されて思考が出来なくなるということ
日記に残すような自分の現在を、主語の気配が少ない文体で書きたいとき音楽を聴きながら打つ

友達のパートナーとの距離感
もし友達と彼女が対立する日が来たら、よっぽど友達が悪かったとしてもわたしきっとかならず友達の味方になる
それを、わたしが、そのパートナーが、どんな立場であれわかってるから? 

選んでもしない学級で居合わせたクラスメイトと 偶然 ほんとうに少しずつ邂逅する
感覚は懐かしい
この前の夏の日、友達の彼女とそんな感覚で話をした だから不思議だった 
一日だけ取り戻す2013の夏 市民プールの雑な煌めき、はじめて覚えた冗談の返し方とか

ある日渋谷の午前0時
レコードの会社から他業界に移った男の人、踊ってる女の子二人を笑いながらスマホで撮り回していた 踊りたそうだなこの人って思った
だってその撮り方はさー 記録じゃなくてまなざしじゃんね

映画のあらすじで、面白そうだなって思えば大抵当たるの 小説は紹介文に惹かれても一ページ目で読みにくい…と読むのをやめることが多い 文体の相性。 湊かなえの小説はまだ全作読み切っていないけれど好き わかりやすい幸せに近づくほど雰囲気が不穏になり、人物が足でちゃんと歩き始めると どうなるんだろう…でも明るい と思わせられるところ 

いつも1000-1500字くらいだったから800字くらいで短く終わる
自分の価値観を他人に期待するのは想像力が足りていないですねと思う けれど、そうやって何年も過ごしてきてそうやって友達が出来たりしたら、他人の、世間一般がどうとか 想像したところで、解らないものになるのかー

かなみちゃんは何にお金使うの?レコードとか本もそんなに買ってなくない?って言われて、
生活だよ💢
って返す
これは例え話
明後日の100年前は、関東大震災

写真の喫茶店:
用賀 珈琲譚(カピタン)








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