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街のあいだ


わたしの年齢は大卒だと大体が社会人2年目の歳。他人とコンスタントに連絡を取り合うことをしないから、高校の友達が一人暮らしをはじめたと知らなかった。会うことになって知った。
風が気持ちいいからベランダは開けっぱなし。雨戸は必要?
高校の頃同じ部活だった女の子の作った本が目に入る。そのなかに「のほほん族」の写真。5年以上思い出していなかった記憶がここにあった。

最近の調子は?とわたしが訊くと悪いと言う。配送先が元の住所のまま冷蔵庫が発送されそうになって変更できないだとか諸般の手続きのズレでうまくいかなかったり。転職する理由が見つからない仕事のこと。
こうなっておきたい、という状態になる為に大きなお金を投じているところが、大人だと思った。

いろいろなことを話した。
若い女としての寿命の終わりが近寄るのをわたしはかなり恐れているし、それを人並み以上に享受しようともしている。かわいくて育ちが良さそう。そんな纏い物で見て欲しくないと立っていたいのに、その役割で居ることを迎えられるなら甘える他ない。芯が強そうって言われると、案外舐められていないのだとプラスに捉えていたが、実際は人にそう感じたことがないから分からないな。

忘れるためのメモとしての記録が、遠回しの悪口のようになっていること。
高校3年時の進路希望調査は何をしたいかではなく「どの大学に進学したいか」。
キャリアを築く苦労をわかっている人からしてみれば私は、"◯◯大まで出て正社員で働いたのにキツいからと辞めて、ふらふらしているんだって。やりたいことなんて若いうちは皆わからないんだから大きな会社に行って、それから考えたらいいのに"
結婚や子どもが欲しいという願望がまだ想像できないなら尚更。

そう助言をしてきた同じ場に居合わせた彼女ら。好きなこと(この言葉の響き、もういい) を仕事にするか、どのような距離で関わっていくのかを過渡期で迷い、十数年前にした選択に納得し折り合いをつけてきた人たちか。と思うと、私はもう口を噤んでいた。
左手には音大を出てピアニストに。来週から伊留学するオペラ歌手と、右手には同じ音大を出てIT企業の経営にまわった人。同じ空間にあの構図はあまり見ない。
銀座は多くの店がGW休みをとっていたし、あれほど将来について言及されることも少ない。この夜のことを何度かこの先も引き合いに出すだろう。

2023年5月7日。今日は雨で、部屋で掃除機をかける。
シャンタル・アケルマンの処女作『街をぶっ飛ばせ』で、女は自室のタイルに水を撒く。床を、洗い流す。そして自分までもぶっ飛ばす。
中学校のトイレ掃除、金曜日だけ水を撒いて綺麗にすることが許されていた。トイレ掃除当番の週、毎日ホースで水を撒いた。最高。今いるこの部屋も、去った家の床も、全部洗いたい。洗うことで元に戻らなくなるのなら処分したい。

twitter250アカウントくらいフォローを外した。友達と、きっといつか辿り着く場所だけでいいや。自分は消すことができない。どの店にも常連にならない。何を好むのか定められたくない。
人との繋がりを深めることから遠ざかりそうなこの性質。人間の、どうしようも取り除くことができない仕草を見つめるにはちょうど良い。都合がいい。
これまで出会ってきた人と空気のことを遺す気力、あるのかなぁ

どうしたら箔がつく?何かを成し遂げなきゃいけない?友達が尋ねる。箔がつくやり方は、魅力的なものが商業の匂いがするかしないかで分岐する。前者を好んだら当人にとっての'認められる'までが途方もないだろうし、後者は… 
上野のROUTE BOOKSで、堀部篤史著『90年代のこと』を読んでいた。誰に頼まれるでもなくフリーペーパーを発行し音楽イベントを企画。せいぜい仲間内に届くか届かないかの、やり場のない自意識の発露以上の何かではなかったと。
自分と街との接点を求めるようにして、イベントに繰り出すが、何者でもない若者としての自分は消費者の一人でしかない。
彼にとっての修業時代は、模索している人間に共通する向こう側の見えなさに近い。

今日はやはり雨なので、コインランドリーがこちらへ来いと思いながら、夜の、恵比寿でしょうか タイムアウトカフェには行かないだろうなと思いながら、修業時代の先へ何歩も踏み出している身近な人たちのことを思い浮かべている。


文頭で出てきたのほほん族。みどりがお気に入り。

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