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タトエバ3 ALS -ALSだった母と暮らして-


ALS  23年1月1日


Amyotrophic Lateral Sclerosis
アミオトロフィック ラテラル スクレローシス
筋萎縮 側索 硬化症


運動神経細胞(ニューロン)において、シグナル伝達経路の活性化にはたらく部分に、ある因子が結合することによってはたらきが変更になり、活性化を抑制することができる。その因子が結合を変えてしまうことで、抑制がはたらかなくなり、活性が行き過ぎて炎症が慢性的になり、終いには細胞の死がやってくる。脊髄を通る側索が細胞の死によって縮小し硬化してしまう。脳から部位への運動ニューロンのはたらきが次第に失われていって、それとともに体の自由を失っていく。自らで体を動かすことができなくなってしまう。


これが母が抱えている病気。
そして、自分が抱えている病気だと思う。
母を代替して、母の部分になると定めたときから、これは自分の向き合う病気になった。


母との暮らしの中で起こることを、様々に思い考え、自分に応力を加えてくるこの出来事について、記し残すべきだと考えを改めた。周りからは献身的だと言ってくれることが多いが、その中身では、綺麗事だけでは表せない良くもあり悪くもある、心のうごめきが這い回っている。もちろん、母のために、そして自分のために、母のことを第一にしたいまの生き方を自分自身が手に取っているんのであって、それが真ん中を占めていることは一番確かなのだけれど、それにしても、たくさんの感情が、プラスもマイナスも、いまの生活を作っている。


それらをきちんと取り出して、書き記しておいたほうがよいと思った。
自分のために、そして母との記録を記憶するために。そして、これはどこかのだれかのためになることかもしれないからだ。


これまでを、これからをちゃんと。




例えば、だ。母と僕らが経験したきたもの、手に入れてきたものは一つの場合だと思う。情報や知識は、必要だけれど十分なものではなかった。起きてくることに一つ一つ対処していく。もちろん知っておいたほうが良いことはたくさんある。予め知り、やってくることを予測し準備しておいたほうが良いことは当たり前だ。例えば、話せなくなっていくコミュニケーションに、代替する方法を備え、待ち構えることは絶対に必要になってくる。ただそれだって、教えられるまでもなく、必ず直面していくことで、それに適応していくことは病気と付き合う上で絶対になくならいものにすぎない。スピードやタイミングという意味で、学習していくことは役立つのだとしても、知識を仕入れ、情報を収集することが、病気との暮らし方を支えていくのではない、といま思うことだ。

ただ一つの場合を僕たちは過ごしてきた。ALSという病気に、その状態、進展、変遷は数限りなく表れてくる。体の自由が効かなくなっていく。最後には、呼吸ができなくなる。もしくは、ご飯が食べれなくなる。そして、終わりを迎える。そのゴールは変わらないとしても、そこに至るまでにどう過ごしていくのか。どう生きていくのか。定まっているのはない。病気に定められるのではなく、どうするのか、どうできるのかの範疇が大きく開けていることを教えられた。

どうしてもやってくる終わりの状態に、終わりにさせない対処だってできる。色んな方法を手にとって、少しでも長く生きようとすることだってできる。人工呼吸器や胃ろう、呼吸や食事を代替する方法を取る。テクノロジーによって、出来ないことを出来ることに変えていく。生きる方法が開けていく。可能性は選択できる。ALSに対面することになった人が、どう生きたいのか、どうなりたいのか、未来に何を描くのか。それが生き方を示し、手に取るものを選ばせる。

母は何もしない、と言った、はじめから。特別なものを手に取らないで、ありのままにしていて、そうやって、やってくる終わりが自分の寿命だからと。僕たちは、ああそうだね、と受け留めた。母ならそうだろうと共有しているものがあったから。

何もしない、というのは生きようとしない、ではない。母は生きた。出来る限りのことをして、生き続けようとした。やってくる困難に対峙することを諦めはしなかった。決して、死にたくはなかった。もっともっと生きたかった。母は、終わりまで自分らしくあろうとした。それを手放さないようにしたかった。それが彼女の生きることだった。

これから綴っていくことに、すべては表れてくるはずだ。

病気はどれだって比べられるものではないけれど、ALSという病気はとても酷なものだ。本人にとっても、周りにとっても。心からそう思う。

それでも、僕たちに悲壮感は微塵もなかった。それは母の生き方のお陰。母が作ってきた僕たち家族が出来上がっていたからだ。



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