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タトエバ11 思い込み -ALSだった母と暮らして-



思い込み  23年4月18日


自分に映ることと自分以外に起こっていることに、辻褄合わないずれが生まれて、自分の方が不安定になる。母に起こっていることが、自分を作る認識をはみ出して捉えられなくなることに、一体どうすればよいのか、把握できないことに心がざわついて落ち着かなくなる。心のバランスを欠いているために不安が湧き出てくる。そうなった自分を受け入れないという方法で不安定を解消しようとすると、自分以外のほうにバランスを崩す原因があるのだと責任を押し付けてしまう。その態度は、起こっている事態に対して一番とってはならないものだと勘付いているのに、安直なだけになってそれを受け入れてしまう。


母とのコミュニケーションの範囲がどんどんと小さくなってくる。母とのやり取りに言葉を頼ることが難しくなっていくことと、悪くなっていく母の状態をより細やかに把握しなければいけない必要が相反して表れてくる。母をこれまでよりも分からなければ様々なことに対処してあげられなくなるのに、手に負えないどうしようもない状態がやってきてしまう。自分が事態に追いつけなくなっていると気づく。まるで「自分」を形づくる認識が、唐突に小さくなってやけに粗末になってしまったかのようだ。自分が思い込みに動かされている。思い込みに囚われて、その枠を超えていくことを手放して、その閉ざされた中にいて物事を理解しようとするばかりで、なるようにしかならないという態度でただ反応しているだけだと気づく。


その姿勢が母を遠ざけてしまう。母のために、という本来の目的を置き去りにして、自分が、という自己本位な理由にすげ替えて振る舞っている。母の手足になるなどと格好つけた台詞を吐いた自分自身がはずかしくなるように、そんなことできるはずがないと開き直り、自分の行いでそれを証明してしまうようないまだ。


相手を自分に写す。相手に起こっていることを自分に起こっていることとして重ね合わせ、自分自身のこととして理解し反応するということが、相手のためになるという方法だとして言葉では取り出せても、そんなこと知らないと開き直れる認識のブレーキが、知らないことを知ろうとしない、思い込みがはたらく、自分のままでいいという本能が足かせになって、拡張していかなければいけない自分を、簡単に拘束して動けなくしている。


母の状態をきちんとわかろうとしない。わかるための自分を作り出そうとしない自分がいる。思い込みの力はとても残酷なんだ。だからこそ、きちんと理解しなくちゃいけない。簡単にはたらく自分を真っ先に構成している思い込みなんだと、それが守ろうとしているものは自分が思っているほど必要でも大切でもないものなんだと。





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