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タトエバ8 入浴 -ALSだった母と暮らして-




入浴  23年3月31日


あっという間に設えられた湯船に横たわってうっとりとしてる。頭を、体を洗ってもらうのが気持ちよくて、普段見たことがないような表情が浮かんでる。訪問入浴サービスを開始してみた。お風呂に入れてもらえるサービスがあると聞いて、どんなものかと少しの不安を抱えながらだったが、でも、とにかくやってみてよかったと母の顔を見て思う。デイサービスで週に3回入浴させてもらっていたものが、安全に座らせておくのが難しくなったと言われ止めることになった。体をきれいに保つ、そんな基本的なことをどう続けていくか、考え直し対応していくことに迫られた。


風呂にはいる。当たり前のことが当たり前にできなくなることに直面して、普通にできること、何気なく自分を構成しているものがなくてはならないことに気づくのがこの生活だ。その場合に、自分にできることは何なのか、自分以外に自分たちをサポートしてくれるものは何があるのか。それを見つけ、手に取っていく。家族だけではままならない、手に負えない状況がやってくる。その僕たちに手を差し伸べて、一緒に支えようとしてくれるために様々なサービスがあり、沢山の人が働いてくれている。風呂にはいることも、そうやって母のものになり、彼女を支え毎日を暮らしていく一部になるのだと、母の気持ちよさげな顔を見ることができて、考えた。


訪問入浴は、ひとまず週1回で来てもらうことにした。清拭(体を拭いて綺麗にする)を訪問介護の看護師さんに週1で行ってもらう。その清拭を少なくとも週2回は家族で行っていくことにした。外部からのサービスは曜日を決めて定期的に行うことだが、家族清拭は母の体を気にかけて随時にという基本だ。


とにかくやってみる。体が動かくなっていくのに、対しているのは、とにかく前へ進んでみようという気持ちだ。母の前向きな姿勢は周りに伝わる。跳ね返るように、母のために働いてくれる人たちの気持ちも反応しているように映る。介護するのもされるのもお互い様なのだと思う。それはどんなことも生きることなのだという母からの教えだ。




デイサービスに通うようになってから、入浴をデイで済ませることができた。広いお風呂でスタッフが付いて安全にできるようになった。21年1月からだ。週1日がすぐに週2日になり、21年8月には火・木・土の週3日通いのスケジュールになった。デイサービスに通い出す前はまだ、身体がどうにか利いていたということだ。家のお風呂に行き、入り、娘の介助を得ながら頭を洗ってもらったりしながら、済ませられていたということ。21年4月にようやく共に暮らしはじめる自分には、思い寄らなかった大変さをこなしてくれていた。

デイサービスがサポートしてくれている間、お風呂のことを気にかけることはなかった。清潔でいることは、暮らし方と相俟って、身体の状態をきちんと保つことの要点だったと今更ながら振り返る。少なからず身体の表面には異変が起こってきた。たかだか表面、皮膚の辺りことにすぎないようで、そそれは生活の様子を変えてしまうものになりうる。

自分自身のことにして、想像してみる。ただただ心地よくいたくて、お風呂に入っていなければ不快になってきて、身体がどうこうより先に、いやな気持ちになってしまう。身綺麗にしていられるということが心にどうはたらいているかを考える。ふつうにして何気なく生きていれば手に入ることはない当たり前の価値を見つける。

母がふつうに暮らし続けたことがたくさんのことを守り続けたのだとようやく分かってくる。寝たきりにならなかったこと、僕と会話を続けたこと。身体を動かし続け、一定に出来る限りならず、味わっていることをきちんとこちらに伝えてくれる。だからこそ、傍にいる僕たちは何をすればよいのか、を掴まえることができた。

どう生きようとするのか。ひとが生きようとするのにどうしたってほかでは代わりが利かないものが真ん中に据わっていて、支えている。

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