VRの自由なサウンド
VRのコンテンツを作って気が付いたのですが、ヘッドトラッキングのない音(ヘッドロックな音)ってもしかして異質なのでは?
以前にも似たような記事を書いたので、気になるかたはこちらもどうぞ。
今回はもうすこし外側のふんわりした脱線多めな話。
VRでのDOFとは
検索してもらうともっと良い解説があると思うので、
ここでは、
あるコンテンツを鑑賞するときの、ユーザー側の自由度。
頭に数字がついているとそれだけ拘束されていないという、自由度。
自由は好きかい?
自由なことは、とらえ方によっては責任とかもついてくる。ある程度自由くらいがちょうどよい。ルール無しの無法地帯や、フリーミュージック、ノイズ音楽による解釈の拡張を望むならそれはそれで・・・一般からは遠くなる感じ。
技術進化によって、自由の範囲が変わるのがVRの面白いところかもしれない。(一般からは遠くなる感じ)
0DOF
ヘッドフォンで聞く音。頭にくっついてくる。まったくずれない。
例えばテレビを見るとか、映画を見るとかは、0DOF
正面を固定し、自由度をすべてなくすことで、コンテンツの用意してくれた世界に入る。
読書とかもこれに近いかも。 読書は完全にイメージを読者にゆだねるので、人によっては大冒険が体験できる。
ただ、想像するための実体験との関連づけや、情報処理に頭をつかうので人を選ぶところもある。(選択肢が多ければこれも解決できるかな)
あるいみ無限にも近いかもだけど、人によってはほんとに虚無かもしれない。なかなか深い。
いきなり脱線するけど
軸の数え方を時間操作とかにするならば、映像をシーク再生とかしている自由があれば、それは1DOFとかかもしれない。
なんでも軸で数えるならプログラマはすごい数の軸を作り出す神かもしれない。
3DOF
XYZの回転をもっている。中央はずれない。まったくずれない。
距離の変化もなし。
演劇やオペラなどの部隊でそのばで居きょろきょろ見回すことはできるけど、うろうろ歩き回ったりするのはNG。
6DOF
実際にスピーカとの距離方向を持っている。
美術館とかで見たいものを自由にうろうろして様々な角度で見ることができる。
彫刻とかの鑑賞に近い。
公園を散歩するとか動物園、植物園、水族館とか博物館とか、そういう体験にも近い。
音楽的に良いリスニングポイントに最適化されている
手間のかからない音楽視聴の場合、中央でヘッドロック(0DOF)なものが信号処理の負担もなく非常に手軽。
ただ、これ、現実に考えると、常に同じ場所から音が鳴っている。
映像的に考えると、盲点みたいなこともおこるのではと。
(わかりやすい場所とそうでない場所がある)
ずっと同じ刺激を与えられていると、感覚がマヒしていくように、視覚でも盲点の情報は見えていないのに脳内で補間されている。
定常ノイズとかもずっと感じ続けていたら、あらゆる空間を静寂にしないとストレスな状態になるかもしれない。
精神が安定していれば、良い感じにノイズリダクションされていく。
VRで0DOFの音って目立たないのではと。
目立たないからと過度な誇張表現をし続けてもそれはそれですぐに疲れてしまう。(音圧を上げる、ノイズ成分を足す、ディストーションをかけるなど)
できれば、心地よい体験をしたい。
VRなら6DOFか
6DOFは現実に近い表現ができるので、表現の幅が広がるけれど、
トレードオフがあって、正しいリスニングポイントでない はずれ位置や方向が多すぎてしまうデメリットもある。
そして、空間表現に合わせるための調整がひたすらに面倒なわりに、はずれが多くなる。
VRでの0DOF
VRでのUIとかでも、ヘッドトラックとまったく同じに張り付いてくると、レンズの汚れか何かみたいで気になる。
メガネ越しにみているメガネに表示されているものか、眼球のよごれなのか。
フルフェイスでかぶった兜の隙間越しに世界を見ているのか。
もし全天がヘッドトラックでついてきたら、トラッキングエラーの事故になっている状態。
外が見えていないで目の信号が信頼できない状態。
船の船内で、船自体が大きく揺れている感覚。
プラネタリウムで、全天が高速に回転した時のような感覚。
ジェットコースターで意思とは関係なくふりまわされる感覚。
映像だとすぐに違和感がわかるけどサウンドではどうか?
意外とそのままステレオで流したり、センターに音を配置したりはよくやる。
そもそも、ヘッドフォンで視聴する体験が、0DOFなので、そういうものだと認識している。 経験的に鳴れてしまっているのかもしれない。
外部の音が適宜まざっていることで、安定できるかもしれない。
音楽の場合もともと、舞台上での演奏なので、正面にヘッドロックして視聴するのが歴史的にはあるので、その配置が正しければ現実空間とずれていても気にならない。 (明確なセンターがある配置)
もし、音に囲まれたとしたら、現実での経験の有無で心地よさが変わってしまうかもしれない。(脳はさぼりたがりな気がする、意図せず情報を増やして負担を上げるのはよくないかも)
刺激はあるが、目立たせることができない
実際のライブハウスとかで音楽を体験すると、大きなスピーカーに囲まれた空間で音を感じることができる。クラシックやジャズなど直接の音を聞くのも定位がいろいろある。
これと同じ体験をヘッドトラックが可能なVR機材ならできるはず。
VRならではのさらなる追求
ライブと同じにしているよりも、もう一歩進めたい。
実際のライブ会場だと良い場所にいないと良い体験ができないかもしれない。
すべてデジタルで処理しているのなら、だれでも手軽に良い場所に誘導してあげると良い。
自然と良い場所に導くようなデザイン、心地の良い場所など、音以外の要素でも誘導が必要になると思われる。
音楽だけではなく、音楽の提供している空間をデザインする必要がありそう。
VRでの物語体験の良いところ
音楽体験をする物語 物語体験に付随する音楽体験
相乗効果によって、より良い体験になっている。
オペラが音楽と物語を語るような。 表現手段としてとても面白い。
プログラム的な話もでてくる。技術的に解決する方法を模索することもできる。 音楽や音の視聴体験の新しいものが生まれているような気がする。
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