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百年前のパリ五輪

エリック・リデル。この名を聞いただけでワクワクする。映画「炎のランナー」のメイン・キャラクターである。もちろん、ハロルド・エイブラハムスも同じ位置にあるが、ここではエリックのほうに注目したい。それは、百年前のパリ五輪のことである。
 
それは1924年7月6日なのか13日なのか。映画の筋道でいくと、6日の予選を否んだことになる。日曜日の競技には出場しない、と言ったのだ。これには故国イギリスでも、「狂信者」だと悪評をたたかれる。得意の100m走の予選が日曜日であったことを、パリへ出発するときに知り、悩んだのである。但し、400mは日曜日ではない。そちらに出場予定だったアンドリュー選手が、その枠をエリックに譲った。神の力を胸に受けたエリックは……。
 
史実としては、もっと早くに、予選が日曜日にあたることが分かっていたようではあるが、その辺りの脚色はともかく、映画は一度観ただけでも印象に残る場面を描いていた。当該の日曜日、エリックは教会で説教をする。エリックの父親は牧師であり、エリックはしっかりした信仰をもっていた。走ることは、彼にとって神の恵みであり、信仰であったのだ。
 
その説教は、イザヤ書40章であった、と映画は描いていた。
 
  諸国民は皆、主の前では無に等しく
  主にとってはうつろであり
  空しいものと見なされる。(イザヤ40:17)
 
  若者も疲れ、弱り、若い男もつまずき倒れる。
  しかし、主を待ち望む者は新たな力を得
  鷲のように翼を広げて舞い上がる。
  走っても弱ることがなく
  歩いても疲れることはない。(イザヤ40:30-31)
 
日曜日に勤務を強いられる人々のことをとやかく言うつもりはない。だが、日曜日を安息日としているキリスト者が、軽々しく自分の都合で礼拝を離れることが、当然のことのようになされているのではないか、省みることは必要ではないだろうか。
 
それでいて、私たちは日曜日に勤務する人々の恩恵を受けているのだから、ファリサイ派の人々のように、自分を誇示するようなことは、慎まなければなるまい。
 
選手当時は大学生であったエリックは、その後宣教師となり、中国へ渡る。6年後、満州事変が起こり、太平洋戦争が始まる年、家族はカナダへ移らせるものの、エリックは中国に留まる。やがてエリックは日本軍により抑留され、終戦の年、収容所で病死する。まだ43歳であった。
 
この映画をひとつのモチーフとして、私を通して生まれた賛美の歌詞を、最後に掲げることにする。子どもたちへの祈りであった。
 
 
   永遠がここに
 
 地の上の よろず世事に 煩わしさ覚え
 手元見る いとまがあれば 大空を見よ
 
 神の力を 胸に受け 喜びが燃える
 
 見えるものは その場かぎり 国も王も宝も
 花や草が 枯れ朽ちても 聖言葉はとわに立つ
 
 
 罪ありて 罪のままでは 滅びるほかにない
 自分では 償うことも できるわけない
 
 義とされたのは 御子のゆえ 永遠はここに
 
 見えるものは その場かぎり 国も王も宝も
 花や草が 枯れ朽ちても 聖言葉はとわに立つ
 
 
 神の恵みに 生かされて 喜びが燃える
 
 見えるものは その場かぎり 国も王も宝も
 花や草が 枯れ朽ちても 聖言葉はとわに立つ
 
 生まれ育つ 子どもたちに 聞かせずにいられない
 昼も夜も この言葉を 幾たびも幾たびも

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