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神学生の召命

いったい、幾人のキリスト者が、この聖書箇所を、人生の岐路で与えられてきたことだろう。アブラムが、突然に神から声をかけられる。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12:1) まさか自分がそのような旅立ちをするなど、思ってもみなかった。だが、自分は、住み慣れた地を離れて、未知の場所に向かうこととなったのだ……。
 
今日は、ゲストの説教者だった。しかも、私の聞き方が間違っていなければ、日本の教会で説教を担うのは、初めてのことだったはずだ。韓国を、2年ほど前に出て、日本に来た。神学校で学び、日本での宣教を志している。神学生として、もちろん説教の訓練はあっただろうが、教会の主日礼拝の説教の経験は、これまでなかったに違いない。
 
説教者は、二人のお子さんと、パートナーと来日している。パートナーのご家族の方が、交通事故に遭われ、絶望的な情況だったことがあったそうだ。しかし、祈りは聞かれた。この祈りの中で、海外への宣教が関わってきたのだという。韓国では、若いながらも教会で一定の地位をもっていた。それが、日本伝道となると、ただの神学生から学び直すようなことになる。現実には、そこに不安があった。特に経済的には、それまでとは全く違う情況に陥ることになる。
 
しかし、主の言葉を受けたのだ。これを今日は「信仰の旅」という言葉で綴った。最初の説教だということで、こうして神学生は、自分の日本宣教への証しを語ることとなった。
 
アブラムの経験に自分を重ねる。それは、しばしば聞くことである。多くの伝道者にとり、自分の安心できる場所を出て行くことは、殆ど必至であろう。そうなると、この主のアブラムへの送り出しというものが、自分のこととして響いてくることになるのであろう。ただ、同じ場面を我が事として聞くにしても、そこで受け止める言葉とそれに対する信仰や、そこから見えてくる風景、とくに同調して響く別の神の言葉などは、一人ひとり異なるものであろう。この説教を聞く側としても、できるだけ同じ幻の中に身を浸したいと願いつつ、耳と心を傾けることになる。
 
そこで、その説教の内容を細かく辿るとすると、かなりプライバシーをここに晒すことになることを懸念する。ここまでもだいぶそれを明らかに再録してしまったが、これ以上は個人的にことにはなるべく触れないように、私の側での受け止め方の中で綴ってゆきたい。
 
人間の側からすれば、自分の住み慣れた場所を出て行く、ということは非常に大きな出来事である。私も、一念発起して福岡から京都に出たときには、そうだった。そのときには信仰がなかったから、却ってあまり不安がなかったのかもしれない。自分は独りで暮らしてみないと、このままではダメになる、という意識があった。親は大変だっただろうと思うが、私は経済的にはその痛さは分かっていたので、大学に入ってすぐ、家賃分だけはアルバイトで得る生活を始めることとなった。
 
また、支出はすべて細かく記録し、毎月親に報告していた。食費は1日400円と決めており、それを目標に月末は帳尻を合わせるのだった。いくら昔とはいえ、牛乳や卵は、いまと価格は同じである。パンもほぼ同じだし、肉は京都ではなかなか買えない。その中での、この生活である。こうして私は、家計というものについては、ねちねちとした生活をするようになった。
 
生まれ故郷を出る。その他に、説教者は、もうひとつの観点を挙げた。それは「神の言葉を信じる」ということだ。ここが本説教の真骨頂であるような気がする。つまり、「神の約束」を握りしめていた、ということである。アブラムにも、約束があった。アブラムはこのとき75歳。説教者の2倍はあった。それでも、神は選び、声をかけた。約束を与えた。神の業には、人間的な計算や打算はないのだ。神の選びは、いつであれ、どこであれ、確かに真実なのであり、それは神が与えた「約束」なのである。
 
説教者は触れなかったが、この「約束」は、もちろん「契約」と言い換えてもよい事柄である。そして、「契約」は、「新約聖書」の「約」の意味である。聖書が神の言葉であり、神の揺るがない約束である、と受け止める姿勢は、まさに、聖書を聖書として読み、信じ、握りしめることと同じなのである。
 
代わりに説教者が強調していたのは、神が「設計者」であり「建設者」である、という点であった。この言葉は、中途から最後まで説教を飾るものとなった。この言葉は、ヘブライ書にある。創世記12章のアブラムの出来事をメインとする一方、もうひとつの聖書箇所として、説教者はヘブライ書11章を選んでいた。その冒頭には、信仰の定義のようなものがあると共に、少し先にアブラムのことが書いてある。「服従し、行き先も知らずに出発した」(11:8)というのは、確かに信仰の事実である。アブラムは出発する。そうして約束の地へ到達する。そのときのアブラムの信仰を、ヘブライ書記者は描いている。
 
アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。(ヘブライ11:10)
 
私たちの導かれる先は、たとえば黙示録では、天から降る「新しいエルサレム」「聖なる都エルサレム」だと呼ばれている。イエスが呼んだように「神の国」であってもいい。「永遠の命」と呼んでもよいと思うし、それは「祝宴」と喩えられていることも思い起こすことができる。アブラハムやモーセの視点からすれば、「約束の地」のことでもあるだろう。
 
その恵みの地について、エルサレムという都を想像すると、いちばんピンとくるような気がする。つまり、神はその永遠の都を「設計」した方である。神が考えたものであり、神が考えたということは、考えたそのままに実現する、ということである。それを、魔法のように現れたとするよりも、「建設」したのだ、というほうが、人間の理解力からすれば、分かりやすいように思う。神が実際に、その都を創造したのだ。それが実現するのは、神が建設したからなのだ。
 
ただ、アブラハムは、それを「待望していた」という。まだ実際にそれを見ていない。私たちもそうだ。私たちはただ、聖書という神の言葉が与えられているが故に、その言葉を信じているだけだ。確信と言ってもよいが、私たちの「信仰」というのは、まさにそれを自分の中でイメージしていることであるとすべきだろう。それが与えられる。そして、神がそれを与えてくださる。神が約束しているからだ。私たちもまた、アブラムに続いて、つまりアブラムに身を重ねて、待望しつつそこへの道を進もう。「信仰の旅」へ出よう。否、すでにその旅は、始まっている。
 
思えば、イエス・キリストのこの地上での足取りも、そのような「信仰の旅」であったのかもしれない。イエスもまた、悩み、祈った。この杯を取り去ってほしい、と祈った。なぜ自分を見捨てたのか、と父なる神に叫んだ。だが、エルサレムへの道のすべてが、そしてまたゴルゴタの十字架への道のすべてが、イエスに定められた道であった。「信仰の旅」であった。そうして、イエス自身が、続く私たちのための「道」となられた。イエスこそ、道そのものであった。
 
神が人を救うために定めた「設計」を、イエスは知った。神が人を救うための「建設」を、イエスは担った。そして、実行した。私たちはイエスを通じて、その救いへ導き入れられる。それは必ず実現する。それを備えていてくださる神を信頼して、私たちは今日もまた、聖書を繙き、命を受けている。
 
日本語を、説教者がどのくらい学んできたのか、それについては私は知らない。しかし、話す言葉としては、申し分ないものであった。特に、説教原稿の文章の自然さは、並の日本人以上ではないだろうか。同じ言葉を繰り返すのは、語彙の上での問題であることもあるのだが、説教においては、聞く者は、どの言葉を受け止めればよいのかがはっきりする。書かれたものとして、驚異的な文章であると感じた。
 
ただ、やむをえないとはいえ、原稿に目を落としている時間が殆どであったことは否めない。それだけ原稿をつくるのが大変だったということでもあるだろうから、むしろ敬意を表するべきなのであろうが、そのうち会衆への眼差しを多く配ってくれると、より言葉の力が届きやすくなるかもしれない、と思った。
 
韓国の方の特徴で、濁音や半濁音に関して、日本語の発音として不自然なところがあるのも、聞く方の慣れによってカバーできるとは思うが、慣れない故か、一瞬考えてしまうこともないわけではなかった。もちろん、それを咎めるような気持ちはさらさらない。
 
最初の説教は、半ば自己紹介を兼ねて、証しをするということは、とてもありがたい。その人を知ることができる。中には、それを全くしないような人もいる。要するに、救いや召命というものがないからであろう。この説教者の場合、今回の証しが召命であったことを思うと、またいずれ、救いというものについて、神との出会いの経験がどこかで窺えたらうれしい。
 
しかしまた、証し以外の説教というものが、説教者のこれからの説教生活の大部分を占めるものとなる。そのとき、どんな福音が語られるのか、それもまた楽しみである。
 
さらにまた、日本には、物質的にも精神的にも、困難な人が増えてきている。かつては知識層、富裕層を通してキリスト教が知られるようになった、という特徴が日本にはあると言われるが、近年はそのキリスト教自体が難しい情況にあるかもしれない。説教者の声がどういうところに届くようになるのか、神の計画は、まだいまのところは分からない。神がここまで導いてくださった真実が、今後も説教者とその家族の上にあるように、と願わざるをえない。

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