喜び踊る
サムエル下6:12-15
十戒の板などが入れられた神の箱は、ペリシテ人の手に渡ったときに、彼らに災いをもたらし、不思議な力を現したといいます。エルサレムを都としてダビデが定め、築いたとき、この神の箱を迎え入れていました。それにより、神の都の礎としたのです。オペド・エリムという人の名が遺され、主の箱を一時的に安置した家の主人だと記されています。
ウザの事件があって、神の怒りがあったため、ダビデはそれにより、いわば方違えのようなことを行ったのでしょう。主は、神の箱が落ちそうになったのを留めたウザに対して、なにもそこまで、というほどに厳しい対応をしました。他方、一時神の箱を預かったオペド・エリムの家は祝福したのだそうです。
この人物、どうやら後に神殿の門衛となり、財務官にまで出世したようです。正に祝福です。その名からして、エドム人ではないか、とも言われています。元来、異邦人扱いされるべき民族であっても、恐らく主を信じて礼拝することを通じて、イスラエルの一員とされたのでしょう。3か月の間、神の箱はそこに預けられていました。
その後ダビデは、忌むべき時を清めたと判断して、エルサレムに運び入れます。「喜びのうちに」というように、晴れやかな心であったことが示されています。六歩進んでいけにえを献げた、というのは何の意味が知りませんが、主の前で、ダビデ王の喜びは、激しい踊りとなって人々の前に明らかにされました。
このとき亜麻布のエフォドをダビデが身に着けていた、と記されていますが、妻のミカルは、裸で踊るなんぞ、と蔑んだことで報いを受けます。ダビデは、卑しくとも嬉しいのだと誇らしげに語りました。主の前に喜びを全身で表すことは最高の誉れなのです。力の限り踊った王の姿は、私たちの鑑です。踊っていますか。踊る者を蔑んでなどいませんか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?