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回復の希望の背後に

ヨエル2:18-24 
 
主こそ神。ヨエルという預言者の名は、主なる神の権威が君臨している様を表します。「エル」は「神」を表しますが、「ヨ」は「ヤハウェ」のことでしょうか。ばったを以て、イスラエルの民の命が左右されることを、その預言は示します。この神の前に頭を垂れ、聞き従うならば、主は限りない憐れみを以て民に臨むでありましょう。
 
さて、このばったとは、単なる自然災害のことを言っているだけなのでしょうか。それもありましょうが、大国に攻め入られるイスラエルの地、殊にエルサレム神殿とその信仰にあるユダの民への警告ではないでしょうか。そう思いたい。しかし、脅すのが主の預言の目的ではありません。その向こうに、回復を必ず見ているからです。
 
荒廃した農業が再び活動できるようになり、人々の命を保つサイクルが実現していくであろう預言により、民を慰める主の働きを描いているように受け止めたいと思います。この恵みは、穀物と新しいぶどう酒、そしてオリーブ油で象徴されています。この地が如何にこれらの農産物によって生かされていたかを物語っているわけです。
 
他方、羊や牛などの肉類も、かけがえのない食物であったはず。民はオリーブの木、ぶどうの木などになぞらえられることがありましたが、羊のように見なされることもありました。でも、羊飼いたちが律法の外に置かれていたことが、クリスマスの記事から見てとれます。農民の土地も城壁の外だったでしょうが、羊飼いはもっと周辺の地だったのです。
 
農民は、非常時には兵士となったことでしょう。軍の一員であり、市民そのものだったと思います。主への献げ物たる羊などを育む人々が、何故にかくも差別されたのでしょうか。律法を守れないからでしょうか。殺生に関わるからでしょうか。各地で、動物を扱う職業が卑しめられた歴史があります。人間の差別の現実を、まず認めなければなりません。
 
大国の攻撃が国を危うくしたのは事実です。しかし、国や社会は、必ずしも敵によって崩れていくものではありません。敵に対して結束すれば、社会が固くまとまることさえあるのです。むしろ主なる神の許に、その憐れみにより強くつながる共同体を求めることを止めるならば、その社会は容易に崩壊してしまうことを忘れないようにしたいと願います。

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