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神殿再建の必要

ハガイ1:3-11 
 
主の神殿を再建することに及び腰で、自分の生活のことしか考えていないイスラエルの人々に対して、預言者ハガイが批判の言葉をぶつけているという構図。今でいうなら教会建築のために献金をしないのか、というふうにも聞こえます。会堂建築を勧める説教のときに取り上げたい聖書箇所です。目的が明確で、意図が分かりやすいと言えます。
 
様々な表現でこの箇所は彩られており、文化を異とする私たちにも十分その内容が伝わってきます。きわめて分かりやすい主張です。それだけにまた、ここが開かれると、礼拝出席者としては辛いものがあります。自分のことにばかり金を使っていると祝福がないぞ。それも一つの真理であり、やたらと反対することが難しいところですが、さて。
 
ハガイが苛立ち告げているのも分かりますが、神へ献げるということの重要な立場を教えるものとして、尊重しなくてはならないのも確かです。でも、それだけなのでしょうか。ハガイにとってはそれだけだったかもしれませんが、私たちにはどうでしょう。徒に深読みをするのがよいとは思えませんが、もっと別の意味を感じ取ってもよいと思うのです。
 
自らの歩みに心を留めよ。そう、心を留めてみたいと思います。勤労を喜ばしいものと考える人ももちろんいてよいのですが、食っていくために必要な義務のように勤労を理解している人もいることでしょう。目的が仕事だけでいいのか。それで楽しい人生か。心に十分な満足を覚えることができるのか。つまりは、心満たされるのでしょうか。
 
ひとまずは労働で幸福を感じたとしましょう。そのような日常が幸福だという受け止め方も大切です。でも、神によらなければ埋められない心の疵がひとにはあるように思います。何か足りないもの、永遠へと続くものが不足しているとは思えないでしょうか。廃墟のままであるのは神殿であるばかりでなく、この心の中の神殿ではなかったでしょうか。

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