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バビロン捕囚を顧みて

列王記下24:10-17 
 
アッシリアの滅亡が紀元前7世紀初め頃で、その支配下にあったエジプトは、アッシリアの後継となったバビロニア帝国と対立しました。間に位置するイスラエルは果たしてどうするばよかったのでしょうか。この時すでにイスラエル北王国は存在しません。南ユダ王国がかろうじて残っています。エジプトはバビロニア軍の侵入を撃退した力を見せます。
 
これにより、ユダ王ヨヤキムは、バビロニア帝国に反旗を翻しました。第二次世界大戦の当初勢いのあったドイツを見て、それに魅せられた日本政府という流れを思い起こします。しかしそのユダ王国を、今度はバビロニア軍は狙います。ヨヤキムの死には、国内でのこの時の政治的な混乱が関係しているのではないか、とも言われているようです。
 
周辺諸国の軍が、バビロニアの旗の下に集結したのかもしれません。ユダ王国の運命は風前の灯でした。ヨヤキムの子のヨヤキンが王位に就いたのは18歳の時だと記されています。その統治はごくわずかの期間に終わったとされています。バビロン王ネブカドネツァルが直々に来ると、ヨヤキンは捕らえられ、神殿の財宝共々、バビロンに連れ去られました。
 
有力者数千人とその家族も、バビロンに連行されることとなります。紀元前6世紀になってすぐ、このバビロン捕囚と呼ばれる事態となりました。エルサレム神殿はまだ破壊されていません。この捕囚については、旧約聖書の記録が歴史史料の中心であるため、さしあたりこれを信用するしかない事情にあるようです。詳細に描かれてはいます。
 
その後も、幾度か捕囚と呼ばれうる事態になっていますが、このヨヤキンの後に、そのおじのマタンヤという人物が、ゼデキヤと改名されて王位に就いたのは、ネブカドネツァルの策略ともいいます。傀儡政権として利用しようとしたのでしょう。ところが、このゼデキヤは、バビロンに対して抵抗し、この後酷い仕打ちを受けることになります。
 
逆に、バビロンへ連行されて終生そこで暮らすこととなったヨヤキンの方は、主の目には悪とされていたにも拘わらず、晩年バビロニア帝国の王に優遇され、地位と名誉を回復しています。二人の運命は大きく変わってしまいました。敵国に勇敢に立ち向かうことが望ましいのではないかもしれません。敵は外にではなく、内にいるのでしょうか。

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