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レスポンス

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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#祈り

目を覚ますことと祈ること

説教に「まくら」などという言葉を使うのは不適切かもしれないが、説教者により、いくつかのタ…

たかぱん
1か月前
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へりくだって祈れ

「交換講壇」と呼ばれるものがある。近隣の教会で、牧師が交替して、互いに別の教会で礼拝説教…

たかぱん
4か月前
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神の国は近い

この説教者は、新約聖書はしばしばルカ伝から語っていた。もちろん意図的である。このルカ伝は…

たかぱん
7か月前
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平和の計画

11月15日の日本の七五三に合わせて、と言ってよいだろうと思う。日本の多くの教会で、その直前…

たかぱん
8か月前
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ウーアイ

黙示録は8章にさしかかる。一時小休止を迎える。しばし風が止む。天使の手に渡された香が、聖…

たかぱん
9か月前

受難週の祈り

十字架を巡っては、様々に思うことがある。深く感ずるところがない、というのは、キリスト者と…

たかぱん
1年前
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ペトロの失敗の向こうに

受難週の祈りの場に招かれたとき、ペトロの否認の場面が開かれた。その後、初代教会の主軸となったペトロからすれば、恥ずかしい話である。だが、それはペトロ自身が、教会で繰り返し説いて話したからこその記事であるのだろう、という紹介があった。今日はそのことについて祈ろうと思う。   もちろん推測ではあるが、長老ペトロは、もちろん失敗を誇示するつもりはなく、自分はこんな失敗をやらかした、と痛恨の思いで幾度も語ったに違いない。そして、書き遺すことになった福音書という新たな、特殊な文学形式の

目を覚まして祈ること

説教では、時々「祈り」というテーマの中で語る必要がある。祈りは、教会の要である。また、個…

たかぱん
1年前
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主の祈り

祈りについて。時折、説教で語られねばならない。だが、祈りとはそもそも何であるのか。案外難…

たかぱん
1年前
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平和への道

主イエスを中心に生きようとする。説教者は、まずそれを今年の抱負として掲げた。もちろん毎年…

たかぱん
1年前
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