ペトロの失敗の向こうに
受難週の祈りの場に招かれたとき、ペトロの否認の場面が開かれた。その後、初代教会の主軸となったペトロからすれば、恥ずかしい話である。だが、それはペトロ自身が、教会で繰り返し説いて話したからこその記事であるのだろう、という紹介があった。今日はそのことについて祈ろうと思う。
もちろん推測ではあるが、長老ペトロは、もちろん失敗を誇示するつもりはなく、自分はこんな失敗をやらかした、と痛恨の思いで幾度も語ったに違いない。そして、書き遺すことになった福音書という新たな、特殊な文学形式の