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編むと廻る毛糸玉:アピチャッポン『真昼の不思議な物体』

不可視の"情動"を存在証明

AIによって人間の思考が剥奪され、人間がかりそめになりつつある今、『真昼の不思議な物体』(2000年)は不可視の"情動"を存在証明したすごい反逆児。


特集上映「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2022」でタルトと同時期に見ることができた。

シュルレアリスムの「甘美な死骸」の手法を取り、物語の続きを次々と考えてもらうドキュメンタリー映画。同時進行で物語の再現映像が流れる。

冒頭のカーラジオでお香のCMを聞いた瞬間、バンコクの2012年の光景へと一気に引き戻された。ショッピングモールの真横に祠があり、"あの世"が巨大な涅槃像のごとく日常に堂々と横たわるさまに怯み、続々と捧げ物をして祈る人々にカメラを向けることはできなかったが、目に焼き付いている。お香やローソクはもうもうと煙になり、ドロドロに溶けていた。

個人的な"記憶"の想起

物語の主人公である足の不自由な少年に、同じくらいの年齢の宇宙人の友だちができた直後に、彼らの心の触れあいを象徴するように、すごくアノニマスだけどリアリティのある、「彼らの魂が、もっと小さい頃の姿かたちをとって草むらの中を戯れる」みたいな映像が唐突に挟み込まれるのだが、これは直後に出てくる、この部分のお話を考えているおばあさんの孫たちだった。 

私も2歳くらいの頃、拾った長い枝を地面に叩きつけて歌いながら、夢の中のように森を歩いている姿がビデオに撮られており、そのビデオを見ると、小学校低学年くらいまではそんな自分だったことを思い出すが、その記憶自体、映像が先か記憶が先かわからなくて、その年齢時の記憶は今の私にとっては"物語"に過ぎないのです。というような。

不思議な話だが、私は小さい頃、自分にお姉ちゃんがいると信じていた。そのお姉ちゃんとコミュニケーションを取ろうとして、ブラウン管の隙間に「お姉ちゃんの絵(姿を描いたもの)」を差し込み、交信していた。今思うと・・・あれは未来の自分だったようだ。

編むと廻る毛糸玉

『Cactus River』(2012年)という短編に、アピチャッポン映画に度々主演女優として登場するジェンジラー・ポンパットが編み物をしているシーンが出てくる。
籠の中の廻る毛糸玉がまず大映しになり、次に手編みの動きが映る。


≪過去現在絵因果経/座天使≫


頭の中に浮かぶ星座としての記憶。創造神のあやとりで宇宙や分子は廻っているように見えるが、編み物シーンの話を私から聞いた母が気づいてしまった。「実は毛糸玉自体、元々規則的に巻かれているため、ランダムには解けていかない」。複雑な回転も実は規則性を持ち、プログラムされている。北斎が描く天球儀のように。

葛飾北斎
「富嶽百景」浅草鳥越の不二図 1834-35(天保5-6)年頃
(東洋文庫ミュージアム『大宇宙展ー星と人の歴史』図録より) 

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