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父の母の無念を子が晴らす。ブラッドスポーツの神髄。

以前「2000年にターフを駆け抜けた怪物」というエントリでテイエムオペラオー号という競走馬について書きました。

今年はコントレイル号、デアリングタクト号が牡馬牝馬ともに無敗のクラシック三冠を達成。今週末(2020/11/1)には最強牝馬アーモンドアイが G1 8勝目を賭けて参戦と話題に事欠きません。ですから再び、競馬について筆を執ろうと思います。

今年の3歳クラシック戦線
(牝馬:桜花賞、オークス、秋華賞 牡馬:皐月賞、ダービー、菊花賞)
牝馬デアリングタクト号の史上初無敗三冠と話題ですが、もう一頭のコントレイル号は”親子”で無敗三冠という快挙でした。

競馬ファンは血統というものに思い入れがあります。
血統とは人間でいうところの家系図です。
新聞や雑誌に掲載される血統図は大体三代遡りますが、実は記録上はもっともっと遡る。つまり血統書が必要です。


お母さんがあの馬だから応援する。
お父さんが負けたレースだから勝ってほしい。

または。

お母さんは雨の日の渋った芝が得意だったから今日は応援する!
お父さんはこの競馬場が得意だった。
お兄さんがこの距離が得意だったから問題ない。
この血統の一族は絶対応援する!

色んな応援ができますね。


ところで血統図ですが、なぜこんなにも詳しく記されているかというと(競馬だからといえば身も蓋もないですが)「サラブレッドの定義」というものが存在するからです。

では「サラブレッド」とはなんでしょうか。

ウィキペディアを見てみましょう。

※※※※※※
血統

1791年以来、サラブレッドには厳格な血統登録が行われており、1頭1頭に必ず血統書が存在している。原則として、両親がサラブレッドでなければサラブレッドとは認められないが、サラブレッド系種に8代連続サラブレッドを掛け合わせたものは審査を経てサラブレッドと認められる場合がある。

現在の全てのサラブレッドは、父系(サイアーライン)を遡るとゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク、ダーレーアラビアンのいずれかにたどりつく。これらを「三大始祖」という。ただしサラブレッドは前述のように品種改良によって生み出された品種であり、三大始祖はいずれもサラブレッドではない。牝系(母系)も1号族・2号族・3号族…とファミリーナンバーで分類されている。

アラブ種の血が混じった馬は、アラブ血量が25%未満ならば「サラブレッド系」、25%以上ならば「アングロアラブ」となる。

wikipedia 項目:サラブレッド 血統 より

※※※※※


日本で競馬が始まったのは万延元年(1860年)とあります。

国際ルール上。上記の血統に関する項目で「両親がサラブレッドであることか、サラブレッド系種に8代連続でサラブレッドを掛け合わせること」とあります。


戦後に日本競馬会、後のJRA(日本中央競馬会)ができ、世界基準で始めようとしたとき、まだサラブレッドの定義に当てはまらない馬も参加していました。日本の在来種などの血が入った馬です。

 混血馬。通称「サラ系」と呼びます。

 レースに活躍後の種牡馬としては混血のサラ系は人気が無く嫌われました。ですが牝馬は繁殖として残されました。
 ですので、まだ現在においてもサラ系と呼ばれる繁殖牝馬は存在します。

これら過去の馬の子孫を今の国際レースにでられるようとすると
1、混血牝馬に正統サラブレッドと交配。
2、それを何代か繰り返すことでサラ系へ
3、さらに繰り返しサラ系からサラブレッドと同等へ昇格
でしょうか。
気の遠くなるような生産者の

また国内産業保護の目的から「持込馬」も規制されました。
有名な持込馬で出走レースが制限されてしまったのはマルゼンスキー号でした。

持込馬とは、海外で産まれた産駒を日本に持ち込む事です。
競馬の新聞欄には名前の上に○に外と書いてマルガイと呼びます。
(これにも1歳までに日本に来ていなければならないなど色々制限がありますが割愛)

この外国産馬は安く、活躍すことが多かったのですが前述の保護の目的から三冠に該当するクラシックレースには出走出来ないという時代が長く続きます。

規制が緩和されだしたのは2001年ごろ。平地重賞が全面解禁されたのは2007年です。若い方は意外に思うかたがいるかもしれません。

説明が長くなりましたが、競馬が「ブラッド(血統)スポーツ」と呼ばれる由縁はわかっていただけたかと思います。

ここで一頭の名馬を紹介します。

ネオユニヴァース号と呼びます。
鞍上を務めたのはミルコ・デムーロ。

皐月賞、日本ダービーを征し二冠。
今ではほとんど見られなくなったローテーション。
三歳で宝塚記念へ。

菊花賞を惜敗。
しかしJRA賞の最優秀三歳牡馬を受賞

明け四歳でG1昇格前の大阪杯を制覇。
天皇賞(春)で無念の故障を発生し引退しました。

さて産駒、子供たちはどうだったか。

お父さんと同じ皐月賞を制覇したアンラインバルド号。

お父さんと同じ日本ダービーを征したロジユニヴァース号。


私がここで特筆したいのはヴィクトワールピサ号です。
名前の由来は「勝利の山」を意味するフランス語。

二十代でネオユニヴァースの無念をみた私は、この馬の応援をしていました。

そして2011年3月ドバイミーティング。
トランセンド騎乗の後藤騎手とミルコ騎手には喪章がつけられていました。

史上初の日本馬ドバイワールドカップ制覇。

このとき私は東北の岩手にいました。
決して震災を盾に感動ポルノをかきたいわけじゃない。
山間ですから、沿岸部の壊滅的な被害とは無縁でした。
おそらく沿岸部の方はこのレースを見る余裕なんてなかった。

でも私はミルコ・デムーロと一緒に泣きました。

お父さんの無念を最高の結果で結実させました。

勝利の馬上インタビューで開口一番ミルコ・デムーロが言います。

「今日は日本のために祈っていました」と。


さて馬券は一口100円から賭けることができますが、楽しむのにそれすら必要ないことがわかっていただけたでしょうか。

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