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中論.第8.9.10章

中論『根本中頌(こんぽんちゅうじゅ)』

第八章 行為と行為主体との考察

1.この既に実在する行為主体は.既に実在する行為をなさない…
未だ実在していない行為主体もまた.未だ実在していない行為を為そうとは思わない…
2.既に実在するものには働き(作用)が存在しない…そうして行為は行為主体を有しないものとなるであろう…
既に実在する行為には働きが存在しない…そうして行為主体は行為を有しないものとなるであろう…
3.もしも未だ実在しない行為主体が未だ実在していない行為を為すのであるならば.行為(業)は原因を有しないものとなるであろう…そうして行為主体も原因を持たぬものとなるであろう…
4.原因(たとえば泥土)が存在しないから.結果も存在しないし.また能動因(たとえば輪など)も存在しない…それ(原因と結果)が存在しないから.働き(作用)も.行為主体も.また能動因も存在しない…
5.働き等が成立しないから.法に適った行ないも.非法の行ないも存在しない…
法に適った行ないも存在しないし.非法の行ないも存在しないから.それから生じる報いも存在しない…
6.果報が存在しないから.解脱に至る道も天界に至る道も成立しない…そうして一切の行為は無意味となってしまう…
7.既に有であって.また無である処の行為主体は.有にして無である処の行為を為す事がない…
何となれば互いに矛盾している有と無とが.どうして一つのもので在り得ようか…
8.有である行動主体によっては無は造られない…
また無である行動主体によっては有は造られない…
何となれば.汝のその説に於いては一切の誤謬が付随して起こるからである…
9.既に実在する行為主体は.未だ実在しない行為を為す事がない…また既に実在し.且つ未だ実在しない行為を為す事がない…それは.既に述べた諸々の理由(第八章.第ニ詩など)による…
10.未だ実在しない行為主体もまた.既に実在する行為を為す事もない…また既に実在し.且つ未だ実在しない行為を為す事もない…それは.既に述べた諸々の理由(第八章.第七詩など)による…
11.既に実在し.且つ未だ実在しない行為主体は.有である行為を為す事はない…また無である行為を為す事もない…処でその事は.既に述べた諸々の理由(第八章.第七詩など)によって知るべきである…
12.行為によって行為主体がある…またその行為主体によって行為が働く…
その他の成立の原因を我々は見ない…
13.この様に.行為と行為主体とを排斥する事によって.執着(取)の事をも知るべきである…行為と行為主体とを考察した事によって.その他の事柄をも考えるべきである…

第九章 過去の存在の考察

1.見る働き.聞く働きなど.また感受作用(受)などを所有する者(主体または霊魂)は.これらの働きよりも先に存在すると.ある人々は主張する…
2.何となれば.どうして存在しないものに実に見る働きなどが在るであろうか…それ故に.それらの働きよりも以前に.かの定住しているものが存在すると…
3.見る働き.聞く働きなどよりも.また感受作用などよりも.先に定住している其のものは.では何によって知られるのであろうか…
4.もしも見る働きなどが無くても.かの定住せる者が存在しているのであるならば.その定住せる者がいなくても.かの見る働きなどが存在するであろう事は疑いない…
5.或る物によって或る者が表示され.或る者によって或る物が表示される…或る物がないのに.どうして或る者があろうか…或る者がいないのに.どうして或る物があるだろうか…
6.一切の見る働き等より先にある何物も存在しない…また見る働き等の互いに異なる事によって時を異にし表される…
7.もし一切の見る働き等よりも先なるものが存在しないならば.どうして見る働き等の一つ一つよりも先なるものが存在しようか…
8.もしも彼れが.則ち見る主体であり.聞く主体であり.感受する主体であって.一つ一つの働きよりも以前に存在すると言うのであるならば.然らばこの様な事は理に合わない…
9.またもしも.見る主体と.聞く主体と.感受する主体とが.それぞれ互いに異なったものであるならば.見る主体が在る時に.別の聞く主体が在ると言う事になるであろう…そうだとするとアートマ(主体.霊魂)は多数在る事になってしまう…
10.もしもまた見る働き.聞く働きなど.および感受作用などが諸元素から生じてくるのだと.若干の論者達が主張するとしても.それらの諸元素の内にもアートマ(主体.霊魂)は存在しない…
11.もしもそれらの見る働き.聞く働きなど.および感受作用などが.そのもの(アートマ)にとって存在しないのであるならば.そのもの(アートマ)は存在しない…
12.しかも見る働きなどよりも以前にある者は.現在にも.また未来にも存在しない…
有るとか無いとか言う想定は.此処に於いては休止している…

第十章 火と薪との考察

1.もしも[薪(たきぎ)が即ち火である]と言うのであれば.行為主体と行為とは一体であると言う事になるであろう…またもしも[火が薪とは異なる]と言うのであれば.薪を離れても火があると言う事になるであろう…
2.また火が薪とは異なったものであるとすると.火は永久に燃えるものであると言う事になり.燃える原因を持たないものであると言う事になるだろう…更に火を付ける為に努力する事は無意味となってしまうであろう…そういう理由であるならば.火は作用を持たないものとなる…
3.他のものと無関係であるから.火は燃える原因を持たないものとなり.いつまでも燃えていて.火を付ける為に努力する事は.無意味となってしまうのである…
4.それに付いて.もしも.この故に燃えつつあるものが薪であると言うならば.先ず.この薪が燃えつつあるのみである時に.その薪は何によって燃えるのであろうか…
5.異なった別のものは到達される事が無いであろう…未だ到達されていないものは.燃える事が無いであろう…
また燃えないものは.消える事が無いであろう…消えないものは.自らの特質を保ったままで存続するであろう…
6.もしも薪とは異なった別のものである火が.薪に到達するのであるならば.それは女が男に至りまた男が女に至るようなものである…
7.もしも火と薪との両者が互いに離れた別のものであるとしたならば.薪とは異なる別のものである火が.欲するがままに.薪に至り得るであろう…
8.もしも薪に依存して火があり.また火に依存して薪があるのであるならば.何れが先に成立していて.それに依存して火となり.或いは薪が現れる事になるのであるか…
9.もしも薪に依存して火が在るので在るならば.薪は既に成立している火の実現手段である…
こういう理由であるならば.更に火の無い薪も在る事になるであろう…
10.或るもの(甲)が.他のもの(乙)に依存して成立するのに.その甲に依存して乙が成立している…
もしも依存されねばならぬものが.先に成立するものであるとすると.何れが何れに依存して成立するのであろうか…
11.他のものに依存して成立する処のものは.未だ成立していない筈なのに.どうして依存を為すのであろうか…またもしも[既に成立しているものが依存するのである]とすると.そのものが新たに(他に).依存すると言う事は.理に合わない…
12.火は薪に依存して在るのではない…
火は薪に依存しないで在るのではない…
薪は火に依存して在るのではない…
薪は火に依存しないで在るのではない…
13.火は他のものから来るのではない…
火は薪の中には存在しない…
この薪に関して.その他の事は(第二章において)今.現に去りつつあるもの.既に去ったもの.未だ去らないもの.に付いての考察によって説明され終わった…
14.更に火は薪ではない…また火は薪以外の他のものの内に在るのではない…
火は薪を有するものではない…また火の内に薪があるのでもない…また薪の内に火があるのでもない…
15.アートマ(主体.霊魂)と執着(則ち五取蘊)との全ての関係が.火と薪とによって残りなく説明された…
瓶と衣などと共に全てに付いて説明されたのである…
16.アートマ(主体.霊魂)は実体を有するものであると考え.諸々の事物はそれぞれ別異のものであると説く人々は.教えの意義に熟達している人々であると私は考えない…

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