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子どもが育つルート

子どもが学校に行くのが日常であるとき、将来は中学校に行って、高校に行って、大学に行って、就職するのだろうとイメージできる。僕もそのように育った。子どもが、学校に行かなくなるということは、中学校に行って、高校に行って、大学に行って、就職するのだろうという将来のイメージを抱けなくなるということだ。だから、不安になる。

社会に用意された学校から就職というルートがあるから、不安にならずに日常を送れるのだと思う。だから、学校に子どもが行かなくなると日常は脅かされる。その日常が脅かされないために、親は子どもが学校に行かないことに強く抵抗するのだろう。

子どもが、東京シューレに行くようになってわかったのは、子どもが育つためのルートは学校だけではないということ。学校というルートを通らなくても育つルートは存在するし、学校というルートさえ、子どもが育つための無限にあるルートの一つにすぎない。学校というルートが相対化されると、学校に行かないことに対する抵抗も和らぐ。

子どもたちは多様だ。だから、学校を中心に育つ、フリースクールなど学校外の場を中心に育つ、ホームスクーリングなど家を中心に育つ、それ以外の様々なルートがあっていい。社会に多様な学びの場が用意され、それを選択できる環境を整えたい。多様なルートで学ぶことが認められ、学び育った大人がこの社会を構成するとき、どうなるのか想像してみる。

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目標金額25万円を目指し、私の誕生日(9/6)に合わせて寄付の呼びかけを行ってます。東京シューレへの奨学金というかたちで、ご支援、シェアのご協力をいただけると嬉しいです!

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