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「人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべき」

人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべきです。
他人の短所が見えなくなったら相当の人物、
長所ばかりが見えてきたら大人物です。
   ─ 石井 久(実業家) ─   

「20世紀の名言」からの引用です。


人の欠点が気になること、よくあります。

・自信がありすぎる人に対して
・みんなの手柄を自分だけの手柄にしようとする人に対して
・言ってることとやってることがあまりに違う人に対して
・本人が原因でトラブルになってるのに当事者意識がない人に対して
・必要以上に攻撃してくる人に対して
・自分だけが正しいと思っている人に対して
・自分の仕事をやらない人に対して
などなど。

逆に、自分は欠点はないのか?もちろんある。たくさんある。人のことは言えないほどある。まさに「人の欠点が気になったら、自分の器が小さいと思うべき」だなぁ。


いや、私の場合、器が「小さい」で済まない。
というのも、「気になる」で終わってない…


どういう時に人の欠点が気になるか挙げながら気づいたけど、「あの人のこういうところ、気になるなぁ」で終わらずに、その人の考えや行動を変えたくなってしまって、他の人まで関わらせてしまう行動をとってしまうことに気付いた。

今、チームで取り組まないといけないプロジェクトがあって進めているけど、一緒に仕事をしていくと、どうしても馬が合わない人が出てくる。「ここはこうしたらいいのに」とか、「なんでこういうふうにやらないんだろう」とか思ってしまうことがある。他のメンバーの意見を知りたくて軽く話を振ってみると、同じように思ってる人がいたりする。

そうなると、「あの人のやり方、ちょっと違うなぁ」と思うだけで終わればいいのに、きっと「自分が正しい」「私のやり方で進めた方がいい」という思考回路になってしまうんだろうね、事あるごとに他のメンバーに「このやり方、おかしいよね」という話をしてしまう。それがエスカレートして、どんどん悪口になってしまう。

私のやり方の方が正しかったとしても、ここまでくるともう正しくない。チームみんなで一緒に同じゴールを目指さないといけないのに、そこにたどり着くまでのルートにA案とB案が存在することになってしまう。どちらのルートで向かうにしても、納得していない人がいないまま進めると、人間関係がぎすぎすしてしまう。私ともう1人だけの関係でなく、周りの人もどう接していいか分からず、チームがバラバラになる。


職場は、仲のいい友達の集まりじゃないから、考え方が違う人がいるのが当たり前。考えが違う人が集まって一緒に何かするなら、ちゃんとコミュニケーションとらないとダメだよね。

私が「このやり方がいいのに」と思っても、ある人は私に見えていないリスクを考えて別のやり方を選んでいるかもしれないし、またある人は自分の得意分野を活かした方法を選んでいるかもしれない。逆に、その人の苦手分野を避けるために別のやり方を選んでいる可能性もある。


なんだか「自分が正しい」と思ってること自体が恥ずかしい。他の人に「私の方が正しい」と言わせようとしていることが恥ずかしい。自分と違う考え方があることに目を向けられないことが恥ずかしい。思い込みで相手より優位に立ってると思うことが恥ずかしい。チームの雰囲気を悪くしてるのが自分だということに気付けていないことが恥ずかしい。


そもそも、一方的に「欠点」だと判断すること自体が間違ってるのかも。

「欠点」というよりは、考え方の違いとか、能力の違いとか、好みの違いのような「違い」かもしれない。

基本的に、自分と同じ部分より違う部分の方が気が付きやすい。そして、違うことに対しては、感心したり圧倒されたりすることもあるけど、否定とか嫌悪感とか差別の意識を持つことが多い気がする。


今の私なりにこの名言を解釈するとしたら、こんな感じかな。

自分と考えや好みが違う人を「欠点がある」と思う人は器が小さい人。
自分と違う考えや好みを楽しめる人は、器の大きい人。


独りよがりの考えになっていることに気付けた名言でした。



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