「辛抱しろって、つらさを抱きしめればいいのよ。ぎゅって。なんかできる感じがしない?」
素敵な考え方だなぁ。
「我慢」と「辛抱」、どちらもほぼ同じ意味だけど、解釈の仕方で印象がこんなに違うなんて。
この2つの言葉、どちらかというと「我慢」を使うことが多い。
「耐え忍ぶ」とか「こらえる」というのは、心の中はモヤモヤしたままなのに、何もできずにじっとしなくてはいけない。
動けないということがつらいのかもしれない。
状況が悪化しないように余計なことをしないというのは理解しやすいけど、状況を良くしようと思って動くのも余計なことになりかねないので動けないこともある。
でも、「辛抱する」というのを「ぎゅって抱きしめる」というイメージにすると、確かにできそうな気がする。
できるというか、動けないもどかしさが軽減される気がする。
「我慢しなきゃ」と考えると、頭の中でも「動いちゃいけない」「すべてが終わるまでじっとしていなきゃいけない」という制限がかかってストレスになっていく。
ただ、「辛抱しなきゃ」を「ぎゅってしよう」とか「抱きしめよう」と考えると、言葉のイメージそのものが良いイメージということもあって、少し心が軽くなる。
こういう切り替えができる人って素敵だなぁ。
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