見出し画像

「辛抱しろって、つらさを抱きしめればいいのよ。ぎゅって。なんかできる感じがしない?」

我慢って、人間って我が強いから我慢がすごいしにくいんだって。我慢しろっていわれると、我が出ちゃうからすごくつらい。

でも辛抱って
漢字で書くと『辛さを抱く』って書くの。

だから辛抱しろって、
つらさを抱きしめればいいのよ。

ぎゅって。

なんかできる感じがしない?辛抱って。

   
磯野貴理子

心を輝かせる名言集


素敵な考え方だなぁ。

「我慢」と「辛抱」、どちらもほぼ同じ意味だけど、解釈の仕方で印象がこんなに違うなんて。


が‐まん【我慢】
耐え忍ぶこと。こらえること。辛抱
我意張ること。また、そのさま。強情。
仏語。我に執着し、我をよりどころとする心から自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢

weblio辞書

しん‐ぼう〔‐バウ〕【辛抱】
[名](スル)《仏語心法」からか。「辛棒」とも当てて書く》つらいことや苦しいことをがまんすること。こらえ忍ぶこと。

weblio辞書

この2つの言葉、どちらかというと「我慢」を使うことが多い。

「耐え忍ぶ」とか「こらえる」というのは、心の中はモヤモヤしたままなのに、何もできずにじっとしなくてはいけない。

動けないということがつらいのかもしれない。

状況が悪化しないように余計なことをしないというのは理解しやすいけど、状況を良くしようと思って動くのも余計なことになりかねないので動けないこともある。


でも、「辛抱する」というのを「ぎゅって抱きしめる」というイメージにすると、確かにできそうな気がする。

できるというか、動けないもどかしさが軽減される気がする。


「我慢しなきゃ」と考えると、頭の中でも「動いちゃいけない」「すべてが終わるまでじっとしていなきゃいけない」という制限がかかってストレスになっていく。

ただ、「辛抱しなきゃ」を「ぎゅってしよう」とか「抱きしめよう」と考えると、言葉のイメージそのものが良いイメージということもあって、少し心が軽くなる。


こういう切り替えができる人って素敵だなぁ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?