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「ライバルは敵とは違う。お互いを認め合い、高め合う、同志でもある。」

ライバルと敵は違う。
対峙する敵とは対照的に、
ライバルは同じ方向を向いている。
お互いを認め合い、高め合う。
ライバルは同志でもある。

ドラマ『ラジエーションハウスⅡ 第6話』


ライバルがいる人の人生は幸せだなと思う。

スポーツ界を見ていると、特にそう感じる。女子フィギュアスケートの浅田真央選手とキム・ヨナ選手とか、競泳の萩野公介選手と瀬戸大也選手とか。男子テニスのフェデラー、ジョコビッチ、ナダルとかも好きだな。

インタビューの時に、「ライバルの存在が自分を強くした」という言葉が出てきたり、試合後に抱き合って拍手で賞賛し合う映像を見ると、感動で泣けてくる。勝負の時は「絶対負けない」という気持ちで戦うけど、結果が出た後は、相手の強さや尊さを認め合う。心の底から「かっこいいな」と思う。


オリンピック選手のような世界レベルじゃなくても、誰でもライバルにめぐりあうことはできる。

私も中学生まではライバルがいたな。もともとは負けず嫌いで目立ちたがり屋の性格だったから、小学生の頃は、自分より足が速い子がいたら、「負けるもんか」と思ってたし、中学生の頃は、成績が同じくらいの子といつもテストが返されたら「何点だった?」と聞き合って一喜一憂していた。結果もそこそこついてきてくれたんだよね。

でも、高校からはライバル関係の人って思い出せない。成績は微妙だったから点数比べるのが嫌になったのかな。部活もやってなかったから比べようがない。大学では人とは仲良しになるのが大事で、競い合う場はなかった。

思い返すと、勝負事そのものが苦手になってた気がする。罰ゲームがあるというだけで、内輪のゲームですら嫌だった。それに、目立つことも避けるようになっていったかな。比べられることも嫌になっていった。

仕事では、いろんな世代の人がいるから、どうしても「同期」というだけで比べられることがある。私は「いい成績残したいな」「仕事できると思われたいな」と心のどこかで自分に期待するんだけど、ちょっとでも成果を挙げると、いい顔をしない同期がいて、怖気づいてしまう。

同期じゃなくても、年齢の近い女性の同僚も気を付けないといけない存在。仕事の成果もそうだし、ちょっとでも私と同僚の男性で話が盛り上がると、機嫌悪くなる女性がいたりして、「その女性の前では男性と楽しそうに話すのを避けないといけないな」と気を遣う。


周りと比べられるのは、自分がいつも勝つなら気分がいい。でも、基本負けるならおもしろくない。

でもそれより、勝負に負けて「仕事できないんだ」と思われるのは恥ずかしい。勝敗に関係なく、「必死になってダサい」とか「上司に好かれようとしてる」と思われるのも凹む。つまり、人格を否定されるのが怖い。

勝負なんかしなければ、ダメなやつだと思われない。比べられなければ、みじめな思いをしなくて済む。その方が楽。


でも、目的に向かって努力すること自体は本来楽しいはず。何かのスキルが上達するとか、試験に合格するとか、仕事で成果を挙げるとか。頑張って取り組んで、実を結んだ時の喜びは何度か味わったことがある。


きっと、周りからどう思われてるかというところに苦しむんだろうな。


あれ?それってプライドが高いだけか。「負けてる自分なんてありえない」という気持ちの裏返しか?それなら自信過剰なだけじゃないか…。「努力しても報われない」と諦めてるようにみせかけて、「努力なんかしなくても私だったらできる」という思いがあるのかな。

うわ、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。


逃げ癖がついてしまったけど、今やってる仕事、もう少し本気でやってみようかな。

「頑張っても敵を作るだけ」という思いはまだ拭いきれないけど、良きライバルに出会えることを信じて、諦めずに頑張ってみようかな。



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