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「自分の嫌いなものをあれこれ考えるのはとても愉しいこと」

自分の嫌いなものをあれこれ考えるのは
とても愉しいことです。

美的感覚とは嫌悪の集積である、
と誰かがいったっけ。

   
伊丹十三(映画監督)

心を輝かせる名言集


「自分の嫌いなものを考えることが愉しい」

この感覚、分かる気がするぞ。

何だっけ。

美的感覚…
嫌いなのに考えてしまう…


嫌いというと表現が強すぎるけど、違和感レベルならあるな。

例えばインテリア。

「なんかイマイチしっくりこないなぁ」
「なんか美しくないなぁ」
「なんか落ち着かないなぁ」

と感じた時、美しいものを見た時に「美しい」「どこがどう美しいんだろう」と感じるよりも、

「どこがおかしいんだろう」
「どこを変えたら解決するんだろう」
とあれこれ考えてしまう。

そしてそれがとても楽しくてハマってしまう。

何とも思わなかったものをそのままにするより、最初は違和感を持ったものを変えた方が、最終的には自分にとって美しくて居心地の良いものになる。


メイクやファッションもそうだ。

バッチリ決まった時、鏡に映して惚れ惚れと見入って「いい感じ!」となることもあるけど、

「なんか野暮ったいなぁ」
「うわ、ダサいかもしれない」
と感じると、やはりあれこれ考える。

「あの服の方がよかったかな」
「このトップスとボトムスは相性悪いな」
「これとあれを組み合わせたらどうなるかな」
「次からはこの組み合わせは避けよう」

「次はあのアイテムを買ってみようかな」
「おしゃれな人ってどうしてるんだろう」
と、どんどんいろんなことを考えて楽しくなる。


仕事の資料づくりもそうだな。

「なんかごちゃごちゃしてるな」
「見づらくて内容が入ってこないな」
「情報が多すぎるのかな」
「構成が悪いのかな」

などと思って、手直ししていく。

そして自分で納得いく見栄えのものが出来上がると満足する。


ただ、仕事に関しては、納得いくまで美しくすることは気をつけないといけないと思っている。

商品として出すものは見栄えもとても大事。

デザイン次第で興味を持ってもらえるかが左右されるから、時間をかけてこだわってもいい。

でも、内部の打ち合わせ資料にいつまでも時間をかけて美しさを追求するのは、限度がある。

そのために残業が減らなかったり、他に優先すべき仕事を後回しにするのはやっぱりよくない。

「仕事のため」よりは、「自分の楽しさのため」が隠れていることもある。


やっぱりバランスなんだろうな。



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