「『KY(空気を読めない人)』であることが重要」
読めない空気を無理して読もうとするのをやめられたらどんなに生きやすくなるんだろう。
初めて「空気を読まない」のがかっこいいと思ったのは、高校の時の同級生の考え方を知った時だった。
当時、5人グループで仲良くしてたんだけど、ある日、そのうちの2人(AちゃんとBちゃん)の間にちょっとしたいざこざがあったらしい。
翌朝、Aちゃんは何事もなかったかのように、いつものように明るくみんなに話しかけてきた。
Bちゃんは、「昨日あんなことがあったのに、何なの、あの態度。昨日のこと、忘れてるの?Aちゃんっていつも響かない」みたいなことをCちゃんに愚痴っていた。
私は何があったのか細かいことまでは知らなかったけど、Bちゃんのイライラが爆発する前に、AちゃんはBちゃんに対して謝ったり悪びれたりとかして、反省する態度を見せた方がいいんじゃないかとひやひやしてた。
それで、Aちゃんに「Bちゃんと何かあったの?」と訊いてみた。すると、「うん、なんかちょっと機嫌悪いっぽいね」とあっけらかんと答える。「Bちゃん、ちょっと怒ってるみたいだし、謝ったら?」と促すと、「うーん、別にいいや。怒ってるみたいだけど、何事もなかったように接する方がうまくいくでしょ」と返してきた。
実際に、1日も経たないうちに、AちゃんとBちゃんはいつもどおりの関係に戻って、仲良く話すようになっていた。
もっと説得力のあるセリフだったとは思うけど、ハッとさせられたのを覚えている。
当時の私は今よりも不器用で、表向きの自分を「作る」とか「演じる」なんてことはできなかったから、いつも豪快に笑っている印象のAちゃんの中に、そんなポリシーが秘められてることに驚き、大人っぽさを感じた。
Bちゃんからは結局ずっと「反省しない子」と誤解されたままだったかもしれないけど、誤解されることを恐れず、友人関係が円滑に進む振る舞いを貫いたAちゃんのことは、いまだにかっこいい子だったなと思い出す。
「KY」という言葉が流行った後、「AKY(あえて空気を読まない)」という言葉も出てきた記憶がある。
当時、「空気を読めないとダメな人間」という風潮が強すぎて辟易していたし、早くその流行り言葉が消えてほしいと思っていた。
そして何でもかんでも「KY」といえばウケる時代が終わった今となっては、どっちのスキルも大事だし、使い分けられたら怖いものなしだなと思う。
頑張って空気を読んで、自分の軸がブレまくるより、「芯のある人間になりたい」と意識していたけど、最近、それができていないなと思うことが多かった。
職場の空気がピリピリしている時、その空気に飲み込まれてしまう。
誰かに「機嫌が悪そう」と思われてるなという空気を感じると、元気なのに、なぜか不機嫌でいなきゃいけないと勝手に思い込んだりする。
これではどんどん空気が悪くなってしまうので、そういう時に、Aちゃんのことを思い出して、「何事もなかったかのように」周りに話しかけることがある。
内心、ドキドキしながら。
でも、うまくいってもいかなくても、ちゃんと実行できた時は誇らしい。
これは習慣になるといいなと思う考え方です。
Aちゃん、元気にしてるかなぁ。
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