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「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」

歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る

   ─ 高村 光太郎 ─ (『道程』)

「20世紀の名言」からの引用です。


有名な一節なんですよね。

私が初めて聞いたのは、小学生か中学生の頃。読書好きの家族が教えてくれた。当時は全然ピンとこなかった。人生が何たるかも、「道」が車が通る道路を指してるわけではないことも、まだちゃんとは理解できていなかった。

今、改めて読むと、当時はなかった感動がある。


「僕の前に道はない」

思春期、しっかりと反抗期があった。

親が敷いたレールの上を歩かされているという思いが強くて、そのレールから外れたかった。自分の子どもに苦労をさせたくないという思いから口出ししていたのは、今は理解できる。いわゆる、いい大学に行って、いい仕事をして、いい人と結婚して、いい家庭を持つ。

でも、いつも「勉強、勉強」とプレッシャーをかけられて嫌だった。勉強したくないというわけではなく、好きな習い事を辞めさせられて、部活よりも塾を優先させられて、観たいドラマや音楽番組も見せてもらえず、漫画や小説は論外、ファッション雑誌も買ってもらったことはなかったのが窮屈で嫌だった。

だから、親の言っていることが正しいとか間違ってるとかではなく、親の言う通りになりたくなかった。親が考えているレールと違う道を走りたかった。期待を裏切りたかった。

そんな親も、私が大学に進学する頃から、ようやく私の意志を尊重してくれるようになり、自分で自分の道を決めている実感が持てるようになっていった。自分で自分の道を選べるのはとても楽しかった。


「僕の後ろに道は出来る」

転職したこともあり、分野に一貫性もないので、自分には人生を通して何も積み重ねたものがないという劣等感がある。

年齢を重ねれば重ねるほど、新しい環境に移る時に「即戦力として期待されているんだから早く結果を出さないと」と自分にプレッシャーをかけ、それなのにそれまでの経験が活かせるわけではないので劣等感が深まる。

これは自分の直さないといけないところ。謙虚さは大事だけど、ここまで自分を卑下しすぎる必要もない。

1つの会社にずっといる人も、いろんなところで経験を積んだ人も、どちらにも強みがある。今は特に多様性が求められている時代。いろんな人がいていいし、それぞれの経験や強みをお互いが発揮していけばいいだけ。

私も今までそれなりに頑張ってきた。それぞれの環境で得た知識や経験があるって言ってもいいはず。自分の経験が、いつ、どう活かせるかなんてわからない。その時がきたら活かせばいいだけ。実際に役に立てたこともある。

確実に、自分の後ろに道ができている。

まだ短くて浅いけど、自分で築き上げてきた道がある。私にしか歩めなかった道ができている。自分で選んできた道だ。

自分の人生が愛おしく思えてきた。


歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け

歩こう。歩き続けよう。転んでも。止まりたくなっても。
乗り越えよう。壁にぶつかっても。今までもそうしてきたように。

昔より視界がくすんでいるけど、また光を見たい。
眩しくて目を細めるほどの光を見るために、前に進んでいこう。



自分の過去を認めてあげて、今の自分を認めてあげる。

元気になれる。


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